2019年11月18日月曜日

研修で自分の当事者性を語る意味

相談員さんたちへのまる一日の研修を終えて心地よい疲労感に浸っています。

参加者からも、「午前中に先生からの深い話があったので、午後、自分と深く向き合い、語ることができました」と話してくれました。

私を研修の講師に呼んでくれたのは、「支援者のための夏合宿」に参加した人です。
彼女に合宿に参加して3ヶ月経ち、参加前と後で相談活動に変化が生じたか尋ねました。
「クライエントに接する時、優しくなれたような気がする。」と答えてくれました。
まさにクライエントの話を聴くキャパ(心のスペース)が広がったわけです。ご本人はそうとは気づいていないようでしたが。

彼女は参加者たちに、私のブログにはいろいろ書いてあるから読んでくださいと紹介してくれました。

「この研修会のことも書きますよ!」

と、よっぽど話そうかと思ったけどやめときました。もしかしたら書かないかもしれないから。でも、やはり書くことにしました。

妻にも朝、LINEしました。
私)今日はたくさんクシャミが出るかもよ!
妻)何するの?
私)あとでよく説明するから。

研修が終わった後、
妻)午前中、十連発でクシャミが出たわよ!!

研修のテーマは「カウンセラーの感じ方のクセを知る」
講義ばかりでなく参加者主体のワークを中心にやってほしいという要望でした。

初めに私から「心の立入禁止区域を」に敢えて立ち入る必要性について話しました。
人は誰でもタブーの記憶を持っています。そこに立ち入ると(その記憶を想起すると)トラウマや悲しみ・苦しみのフラッシュバックに悩んだり、失敗体験や恥や罪の部分に立ち入り、自分はダメな人間なんだ、劣った人間なんだと自尊心が低下したりします。
だから、立ち入らないようにその部分に柵をして、自分自身の無意識に追いやり、想起しないようにしています。
それで構わないのです。人は誰でも多少の地雷原を持っているし、そこに踏み込まなくても80-90年ほどの人生をそれほど支障なく終えることもできます。

しかし、あえて立ち入る必要があるのは二つの場合です。
1)タブー領域が心の多くを占めてしまっている場合。タブー領域は心として使えないので、心の狭い領域しか使えず、何ともぎこちない生活になってしまいます。
ちょっとしたきっかけで感情が立ち入り禁止の柵を越えて溢れ出し、自尊心を低下させ、自分は生きている意味がないと生きる目的を失ったり、ひどい時には死にたくなります。あるいは、必死に洪水を抑え込むために心全体を布団で押さえ込んでしまうので、意欲や思考力などの心も使えなくなり、うつ病になったりします。
そうなると心の支援が必要になります。勝手に溢れ出すと危険なので、うまくドレナージしてあげます。

2)心の支援者です。クライエントに共感するためには、自分の感情体験を想起して参照します。心のキャパがある程度広くないと、相手の気持ちを受け止めることができません。

こんなことを前半お話ししましたが、理屈で説明しても心のロックは外せません。
共感性は感情体験は感性の話なので、理性で理解したところでダメなんです。
そこで、私の話の後半は、私自身がみなさんの前で自分の心のロックを外してみせました。つまり、私自身の肯定的・否定的体験を語りました。そして、それが如何にクライエントを共感する際の強みや弱みになっているかというお話をしました。

亡くした妻の話はすでに公表済みです。本のあとがきにも書いたし、研修や講演などで、たびたび紹介しています。しかし、新しい妻の話はまだ開示していません。おのろけ話ではなく(結果的にはそうなんですが)、そこに到るまでの苦渋の話も含まれています。

私が話した後、お昼休みにひとりの参加者がこっそり私のところにやってきて質問しました。
「先生は、どうしてあそこまで自分の体験をみなさんに話せるんですか?」

 私自身が自分の体験をあえて語る困難さを経て、自分がエンパワーされる経験をしてきたからですよ。それを午後にみなさんにも試みてほしい。だから敢えて話したんです。
 みなさんから見たら堂々と話しているように思えたかもしれませんが、私も話そうかどうしようか迷ったし、話しているときはとてもドキドキしていました。ここに来る新幹線の中で夏苅郁子さんの本を読んでいたんですよ。

人は、人を浴びて人になる―心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い

彼女の物語に後押しされて、思い切って話すことにしました。
夏苅さんは支援者(精神科医)であり、当事者でもあります。統合失調症の母親と浮気ばかりしている父親が離婚して、彼女自身も精神を病み摂食障害や自殺未遂を繰り返していました。彼女が自分を語り、人と繋がることで回復していく自分自身の物語です。初めに出したのは、2012年のこちらの本です。

心病む母が遺してくれたもの: 精神科医の回復への道のり

これを読んでいただければ、私の意図もよくわかっていただけると思います。
今日話した私の物語も、きっと近いうちに夏苅さんのように文章に書いてみなさんに読んでもらうのだろうなぁと思います。

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