2020年4月18日土曜日

コロナ不安とひきこもり

新型コロナウィルス感染拡大を予防するため(このフレーズには耳ダコですが)、自宅にひきこもり、ブログをたくさん書いています。

外に出ず、ずっと家にいるのはもうやってられない。イライラしてくるわ。
あの子はひきこもりに慣れているから、どうやったら長い間ひきこもれるのか聞きたいわよ!

と冗談半分に言いますが、いえいえ、楽にひきこもっているわけじゃなく、全世界の人々が今感じているような不安を長期間にわたり抱え込み、不安を避けるためにひきこもっているだけです。

学校はお休みになり、外出を控え、友だちとの接触も避け、家にいなさい!
今は、社会の人々みんながひきこもるよう命じられひきこもりが規範になっているから、ひきこもって学校に行かないという現象自体の問題性は消失しています。
私が臨床の場で出逢う、長い間「ひきこもり」状態の若者たちにとって、そのことが主訴として成立しなくなりました。
しかし、彼らの苦悩が解消したわけではありません。
本人にとって、
今はみんなひきこもっているけど、学校が再開したら学校に戻れるだろうか??
家族にとって、
家で一日中ゲームばかり。宿題も勉強も一切やりません。。。

ひきこもり問題の本質は将来への不安です。
ひきこもっているという現象自体が問題なのではなく、長期的にひきこもっていることに対する不安です。

非常事態宣言に従う人々は、ひきこもっていれば流行が収束するだろうという希望があるからひきこもりに耐えています。
それがいつになるのだろうか、長引くのだろうかという不安も同時に抱きながら。

希望があれば、不安に耐えられます。
希望がないと、不安に押しつぶされてしまいます。

いわゆる「ひきこもり」青年たちとその家族は、回復の希望を失っています。
そのために、ひきこもりシステムから抜け出すことができず、長期間苦しんでいます。

人と繋がることはリスクを伴います。

  • コロナウィルスをうつされて病気になるリスクを負います。
  • (友人として、恋人として、家族として)親しくなりたい・繋がりたいのに、その相手から否定されたり、無視されたり、傷つけられるリスクを負います。特に、守られていたピーターパンの世界から抜け出し、自立した一人の人として成長する思春期・青年期の頃は、他者との関係性の築き方に慣れていないので、このリスクが大きいです。

Risk Avoiding(危険の回避)
このリスクを回避するためには「3蜜」を避け、人と濃厚接触しないように関わりを避け、家にひきこもります。

Risk Taking(危険を請け負う)
人との接点を全く断つと生きていけません。
食料品・日用品の買い物に出かけなくてはなりません。
仕事をしなくてはなりません。私は医者として多数の患者さんたちを診察しなくてはなりません。
人々は医療なしでは生きていけません。
私は医療の仕事をしないと生きていけません。
人と接するしかありません。
思春期の若者たちは人と接し、傷つき、失敗体験と成功体験を繰り返しながら社会性を獲得します。
危険を請け負うことで、人は成長します。
危険を回避し続けると、成長が止まってしまいます。

Risk Management 
リスクを回避するか、リスクに向き合うか。
この両者にうまく折り合いをつけようとするのがリスク・マネージメントです。
1)リスクに関する正確な情報を得ます。
コロナウィルス感染症の知識や、社会の感染状況などです。
2)リスクを最小限に留めつつ、リスクと向き合います。
理性的に行動するためには、感性(不安)をコントロールすることが大切です。

Anxiety Management (不安のコントロール)
不安が先行してしまうと、リスク回避へ向かいます。リスクに正面から向き合うことはできません。感性が先行し、理性的に物事を考えられなくなります。
不安感が安心感で中和され、心が不安に取り込まれた状態が回避できると、理性が働き、合理的なリスク・マネージメントができるようになります。

不安とは、漠然とした否定的な未来予測です。
安心とは、漠然とした肯定的な未来予測です。

この世の中は基本的に危険がいっぱいです。
やすやすと肯定なんかできません。
そんな中で、どうやって安心感を作り出すことができるのでしょうか?

それはズバリ言えば、人との繋がりです。
人との繋がりは、不安を生む場合と、安心を生む場合に分かれます。
不安を生む場合

  • 新型コロナウィルスが人々の間に蔓延している場合。
  • 思春期の若者が社会性を獲得しようと模索している場合。

安心を生む場合

  • 傷つけられないことが保証された状況で、物理的あるいは心理的に相手と近接に接する場合。

今、我々はウィルスの脅威という不安を共有しています。
その不安感を安全な文脈でお互いに共有できると、一人ではない、孤独ではないという、連帯の安心感が生まれます。
一方で、リスクの不安を抱え、
もう一方で、連帯の安心を生み出すことができれば、
リスクを回避しつつ、リスクを請け負い、希望を紡ぎ出すことが可能になります。

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