2014年2月26日水曜日

肯定する力が子どもを甦らせる

Q 息子がひきこもりになってしまい、主人といろいろ手を尽くしてみたのですが、なかなか改善されず、途方にくれてしまいました。家族がいる限りは、自分の部屋のベッドで過ごし、外出はいっさいしません。風呂に入らなくても平気で、悪臭に悩まされていました。

 ところが、夫の仕事の関係でゴタゴタがあり、息子の力を借りなければ、どうにもならない状態になってしまい、思い切ってひきこもっている子にSOSを送りました。最初は、相変わらず無反応だったのですが、親として立ち直ってくれると信じ続けてきたことや、母がどんな思いで産んだのかなど、いまでも思い出せば泣けてくるほど訴えました。

 それでも無反応な息子に対して、夫までもがついに大声をあげてしまい、もうだめかなと思ったとき、私が夫に「この子は絶対に力になってくれる子だよ、誰が信じなくても私は信じる」と言うと、息子はすっと起きだして「明日から手伝う」といってくれました。以来、毎日家の仕事を手伝ってくれています。食事も一緒にできるようになり、ふつうに会話できるようになりました。

A これが子どもの問題を救う家族の力です。ご家族の災いが転じて福となすとは、まさにこのことでしょう。

 母親が真剣に訴え、父親までもが大声を出し、もうダメかなと思ったときに、とっさに母親とった行動が息子の心を開く力になりました。親が子どもを信頼する力がお子さんに伝わった瞬間です。家族を信じて肯定する力が生まれると、息子さんは見事に親の言葉を受け取ることができました。それまでひきこもる息子が家族の問題役を引き受けていました。ところが、それ以上に大きな問題が家族の中に生じて、息子さんは問題を抱えた人の役から家族の問題を救う人の役に転換しました。ひきこもりという悪役を演じているうちは何も動きませんが、ひとたび家族を救うヒーローの役を与えらえると自ら進んでその役を引き受けます。

そのやる気を導き出したのがお母さんのひと言でした。「この子は力になってくれると絶対に信じる」という肯定的な期待が、息子さんのなかに長年眠っていた頑張る力を目覚めさせました。素晴らしいご家族です。

 以前の息子さんは自室にこもり、風呂に入らず衛生観念さえ失った状態は、正常な思考能力が失われた心の病気さえ疑わせます。それまでどんな手を尽くしても動かなかった息子さんは、親のひと言でみごとに意欲を回復しました。

 やる気や自信という人の意欲は、その人自身に備わった固定的な属性ではありません。その人が生きている文脈の中で流動的に変化します。失敗体験やまわりの人からの否定的なメッセージという文脈が与えられると、意欲は全く発揮されず、うつ状態やひきこもり状態に陥ります。ところが、その文脈が肯定的な期待に塗り替えられると、息子さんのように一気にひきこもり状態を脱し、意欲を回復することができます。

 それを可能にしたのがまさに家族の力です。

2014年2月17日月曜日

腫れ物に触るような対応

Q 子どもは学校が合わずに退学して以来、家にいます。アルバイトも何度か面接に行ったのですが採用に至らず、働いたことがありません。何度も家族会議を開き、働くように勧めたのですが、「いま自分で探している」などと言い訳をして、結局、家から出ようとしません。親も腫れ物に触るようなところがあって、なかなか突っ込んだ話ができません。

 このままでは外に出る機会がどんどん少なくなり、本人の将来が心配です。本人が外に出て、簡単な作業でもかまわないので働くことを始め、友人たちとの付き合いも再開できるよう、親はどのように勧めていけばよいでしょうか。

 いままで、私と妻は真剣に考えてきたつもりですが、こういった相談機関を訪ねたこともなく、真剣さが足りなかったと思います。親としてどういった態度と行動をとればよいでしょうか。兄は「親がしっかりしていないとダメじゃないか」と自分の意見を言ってくれます。

A もっと積極的に話しかけ、仕事に就くよう勧めてください。
 何度も家族会議を開くほどお子さんに働きかけ、努力されているのに突っ込んだ話ができていないと感じ、お兄さんからみると、「親がしっかりしていない」と見られているのですね。ということは、親がもっと深く介入できる余地が残されているということです。

突っ込んだ話は難しいものです。親は子どもに向き合う勇気が必要です。突っ込み過ぎたら、傷ついてしまうかもしれない、壊れてしまうのではないかと心配します。どれくらいまで突っ込んで大丈夫なんだろうか、どれくらいでやめておいた方が良いのだろうか、判断に迷います。

腫れ物に触るようにという表現は、機嫌を損ねやすい人に恐る恐る接する時に使います。そのような接し方では子どもは自立できません。親がしっかりするということは、伝えるべきことをしっかり子どもに伝える勇気を親が持つことです。子どもは傷つくことで万能的自我から決別し、家から出る自信を獲得できます。親から突っ込まれて傷つき、それを修復する体験を得ることができれば、ソトの世界で他人から傷つけられても何とか修復できるという自信を得るので、ソトに出ることを恐れなくなります。このようにして、親の力で子どもをソトに導くことができます。

親がそれを実行するためには、親が子どもに対する肯定的なイメージを保持していることが必要です。子どもは傷ついても崩れることなく乗り越えるだろうと予想するので、何も恐れることなく子どもに伝えるべきことを伝えます。その逆に、子どもに対する否定的なイメージを持っていると、この子は少し強く言うと傷ついて機嫌を損ね、崩れてしまうだろうと予想します。親は腫れ物に触るようにしか子どもに接することができません。子どもは傷つきを乗り越えるチャンスが得られないので、ソトに出る自信も得られません。

本人はともかく、まずは親が相談機関を訪ねてみてはいかがでしょうか。どのように接したらよいか自分自身ではわからなくなった時、専門家に今まで行ってきた親の接し方や態度を説明して、親としてやってきたことを振り返ることができるので、いままでは見えなかった新たな方策がきっと見つかります。ただ、相談に出向くというということもリスクを伴います。相談しても相手がよく理解してくれなかったり、期待外れだったり、話すことで傷ついたりするかもしれません。

でも、そのリスクを覚悟で行動してみることが大切です。傷つくリスクを避けるのではなく、リスクに向き合います。親がそのお手本を子どもに示すことができれば、子どももソトに出るリスクを回避せずに向き合えるようになります。

2014年2月15日土曜日

薬が効くのか、カウンセリングが効くのか?

Q 精神科医に相談したら、薬の服用を勧められました。抗精神薬のようですが、ひきこもりに薬物療法は効くのでしょうか。

A 効く場合もありますが、私が経験する大多数の例で、薬は効きません。
 効くか効かないかの違いは、ひきこもっている原因が何かによります。もともと生物学的な異常が原因で、ひきこもっている場合は効きます。たとえば、大脳の神経細胞をつなぐ神経伝達物質に異常があり、その結果として統合失調症やうつ病などが発症する場合、抗精神薬は大脳の神経細胞に効いて効果を現します。生物モデルで考えた治療が功を奏します。
 そうではなく、もともと学校や家庭のストレスがあったり、思春期の心の成長がまわりに追いついていかないためにひきこもっている場合、大脳の神経細胞に異常はみられません。したがって、いくら薬を飲んでも、原因となるストレスや心の成長の問題が解決されない限り、ひきこもりは改善しません。この場合は生物モデルはあまり役に立たず、心理モデルによるカウンセリングや、社会モデルによる居場所づくりや就労支援などが役に立ちます。

 しかし、実際には脳の異常が先か、ストレスが先かという話は「卵が先か、ニワトリが先か」のような堂々巡りで、はっきり白黒がつきません。どうしても、判断する人の経験と主観に頼らざるを得ません。日本の医者は投薬治療が中心で、カウンセリングをしている時間がありませんから、脳の異常が先と診断します。心理カウンセラーは薬を処方できず、カウンセリングがメインですから、ストレスや心の成長が先と判断します。その効果を試すために、2-3週間ほど薬を服用してもらい、効果がなければ薬を止めて、カウンセリングを中心に治療を行うといったこともよく行われます。


Q ひきこもりには、カウンセリングが有効と聞きましたが、カウンセリングで治るのですか。カウンセリングとは、具体的にどうするのですか。

A 本人がカウンセリングを受ける気持ちにさえなることができれば、カウンセリングはとても効果が高いです。信頼できるカウンセラーに十分に自分の気持ちを語ることで、気持ちが整理され、いままで見えてこなかったものが見えてきて、自信を回復するからです。
 カウンセリングは、クライエントの疑問や悩みをに対して、カウンセラーから適切なアドバイスを与えます。そのように想像される方が多いと思いますが、これは本当のカウンセリングではありません。ごくまれに、アドバイスや指針で問題が解決することがありますが、ほとんどの場合、これでは問題が解決しません。なぜなら、単純にアドバイスでできるようなことは、既にカウンセリングに来る前に自分自身で試みている場合が多いからです。それでもうまく解決できないから相談にやってくる方がほとんどです。
 本来のカウンセリングは、カウンセラーがアドバイスや指針をクライエントに対して語るのではなく、その逆にクライエントがカウンセラーにたくさん語ります。何をどのように語るかは、カウンセラーからヒントを差し上げます。その枠組みに沿っていろいろ語っていくなかで、いままでとは違う見方が見えてきます。
 私たちの日常生活は、パターン化しています。何がどのように困っているかという現実認識も、一つのパターンにはまっています。それをカウンセラーという他者から別のパターンが与えられると、いままで語られれいなかった部分や、わかっていながら語ることが躊躇してうまく語られなかった部分にも光が当たり、新たな視点が見えてきます。すると今までいかに狭い思考範囲のなかにはまっていたのか、ということに気がつきます。

 ある女性は、カウンセリングの感想を次のように語っています。
「はじめて他の人に、これまでのことを好きなように語りました。語っているうちに、いろいろなことに気づきました。」
 これがカウンセリングの効果です。この女性のお話の内容は、とくに新しいことではありませんでした。いままで考えたり悩んできたいつもと同じ物語なのに、カウンセリングの場であらためて語ると、何かがいままでとは大きく異なって見えてきます。
 自分のことや家族の悩みや問題は、自分の自尊心や自信を奪うので、平常心で語ることができません。封じ込まれた物語を語ろうとすれば怒りや罪悪感、恥や不安などの否定的な感情が飛び出します。病気のせいか、自分のせいが悪いか、相手のせいか、よくわからないけど何かが悪いことだけは確かです。できれば語りたくないと縮こまって語ってみたところで、何か新しいものが見えてくることはありません。
 同じ話を信頼できるカウンセラーの前で語ってみます。いままで自信を失わせていた感情を安全に解き放すことができれば、逆に語ることが自信につながるのです。それまで人には語ってはいけないと思っていた恥の領域だったものを、カウンセラーが恥や罪の意識なしで肯定的に受け止めます。すると、過去に起きた事実は変わらないけど、その意味づけが大きく変わります。つまり、人に語ることが禁止されていた自分だけの恥の物語が、他者に語り他者と共有しうる一般的な物語に変換されます。
 そうすれば、もう恥ずかしく、自尊心や自信を奪うような体験ではなくなります。そして、前向きな元気が出てきて、自然と身体の調子も良くなり、仕事や日常生活、そして人との関係もプラスに回るようになります。このようにして、ひきこもりの問題もゆっくりと氷解していきます。

2014年2月4日火曜日

両親の仲が悪くても自信を失うことはない

Q 娘は、長い間ひきこもり、「親の育て方が悪い、私の一生は親にめちゃくちゃにされた」とあたります。夫婦の折り合いが悪く、別居中なので、子どもの言うこともわかります。かわいそうに思います。謝ったほうがよいのでしょうか、それとも取り合わないほうがよいのでしょうか。

A 親として、至らなかったところがあれば、子どもに対して率直に謝りましょう。
両親の仲が悪いと、子どもに大きな影響を与えます。たぶん、娘さんもたくさん傷つき、いくつかの観点からひきこもっている要因と考えることもできます。

第一に、仲が悪い様子が子どもに心理的な外傷を与えます。両親が言葉や腕力の暴力でお互いを傷つけたり、無視して口を聞かなかったり、家出したりというようなシーンが繰り返されると、子どもの外傷体験となって残ります。一つの出来事はそれほど大きくなくても、繰り返されることにより恐怖感が積み重ねられ、結果的には大きな不安や恐怖をずっと抱えることになります。

第二に、親密なはずの家族という人間関係が安全ではなく、お互いに傷つけあうという見本を子どもに示してしまいます。思春期は、自らの力で家庭外に親密な関係を築き始める時期です。親が傷つけあっている姿がモデルになると、相手を信頼して親密な関係を築こうとしてもうまくいかないのではないかと、不安になります。

第三に、子どもと近い親が、子どもを自分の味方に取り込んでしまい、夫婦のバトルに巻き込まれてしまいます。多くは、母親が夫に抱く嫌悪感を意識的あるいは無意識的に子どもに投影してしまいます。子どもは親に好かれようとするために、母親に同調して父親を敵対するようになります。親しいはずの人を憎しみ遠ざけることを親から学び、自分の友達に対しても同様な気持ちを抱くようになります。

 このような気持ちから、子どもは親に対して、怒りの気持ちを抱きます。それを表現したら爆発しますし、表現できないと攻撃性が内に秘められて、語ることができない怒りのエネルギーが子どもを生きづらくします。子どもが成長する上で、大きなハンデを負うことになります。
そのことは、親自身が素直に認め、子どもに対してすまなかったと謝りましょう。子どもに対して、親自身の過ちを認めることはつらいことです。親の威厳が損なわれて、子どもに低く見られるのではないかと思うかもしれません。でもそれは違います。むしろ、親が自分のことを認めず、きちんと謝ることができないと、子どもはそれを見抜いて馬鹿にします。

親が素直に現実を認める勇気を子どもに見せると、子どもも現実を直視する勇気を持つことができます。親が自分の人生と家族関係に責任を持つことができると、子どもも自分のことに責任を持つことができます。どんなに育ちにくい逆境があったとしても、そのせいで私の人生がダメになったという考え方は、責任転嫁です。自分で責任を負うとしていません。確かに、大きなハンデは負っています。しかし、夫婦仲が悪いという逆境でも、ひきこもらずに元気にしている子どももたくさんいます。

親の態度として大切なことは、下を向かずに前をしっかり向くことです。夫婦仲が良くなかったのはとても残念なことですが、3組に1組は離婚する時代です。夫婦仲が悪いのは、まれで特殊なことではありません。よく起こりうることです。本来は仲が良いべきですが、うまくいかなかったことは素直に認めて、子どもにもそれを示します。
その上で、前を向いて、自信を持って進みます。自信を失い、気弱になる必要はありません。子どもが失敗したことを、親に責任転嫁しようとする態度を親が認めてはいけません。子どもの苦しみは理解してあげましょう。親自身の苦しみも自分自身で受け止めます。親も子どもも、自分で自分のやったことに責任を取る習慣を身に着けます。

親自身の失敗を悔いて自信を失うのではなく、限界や欠点を認めたうえで前向きに生きようとする態度を親が示せば、子どもも同じように振る舞うことができます。人との関係性に失敗して傷ついても、ひきこもって関係性から撤退することなく、難しい対人関係に前向きに向かうことができます。

2014年1月27日月曜日

父親の関わりが功を奏した例

Q 息子は小学校で先生に叱られ、同級生からもいじめられて深い傷を受けました。勉強で見返すしかないとがんばってトップの進学校に入りましたが、燃え尽きた感じで1か月で不登校になり現在に至っています。

 父親との関係が思春期の頃からうまくいかなくなりました。父親は仕事一筋でまじめな人間です。息子は「おやじに叱られた覚えがない」と言っていますが、母親の私からみてもそうだと思います。私は息子とは別に自分のカウンセリングを受けたりしましたが、夫はカウンセリングには全く無関心でした。

 去年に息子はついにリストカットして、大声で外に向かって叫んだり家の壁に穴を開けたり、家族として辛い日々が続きました。その頃から夫が少しずつ変り、息子と会話するようになりました。息子はまだ「親父を威圧的に感じる」と言いますが、会話も以前よりは増えています。息子は今ひとりで福祉のデイケア施設に行っています。辛かった去年のことを考えれば、今は快挙です。

 このまま夫婦で見守っていくつもりです。息子はまだ不安定で、家に帰ってくると外で受けたストレスを私たちに吐き出します。少しでも気持ちがやわらげばと両親は聞き役になっています。父親が話し相手になってくれると、息子はボソボソと話をします。父親の役目はとても大きいのだなと実感しています。

A ご両親の力で家族の危機を乗り越えた素晴らしい例です。

息子さんが父親に叱られた覚えがないのに威圧的に感じるというのは一見矛盾しているようですがひきこもりの子人によく見られることです。本当はマジメで優しいお父さんなのでしょう。しかし父親との接点が薄くあまり交流がないと、子どもは父親が何を考えているのか疑心暗鬼になり、必要以上に「脅威」に感じてしまいます。小学校の頃には権威者である先生や友達からの脅威やいじめを受け、それを挽回しようと勉強を頑張ったけれどうまくいかず、社会の人々と自由に交わるという壁を乗り越えられなかったのでしょう。

その壁を取り去ってくれたのが父親の関わりです。それまで息子さんにとっては遠い存在であるが故によくわからない脅威であった父親が自らアプローチしてくれて、徐々に人に対する威圧感を乗り越えることができました。このようにして子ども時代に他者から傷つけられた痛みの記憶を癒して、人に対する怖さを克服することができます。母親は子どもにとって身近で優しく、あまり怖くない存在ですので、この役割を担うことができません。威圧的に感じてしまう父親だからこそできる役割です。

多くの男性はカウンセリングを好みません。その理由として、まず他者に救いを求めることが苦手だからです。男性は昔から「一国の主(あるじ)」としてリーダーシップを発揮して我が家の価値をつくり、家族を外から守る役割を担ってきました。今はそのような家庭は少なくなりましたが、男性の心の中では自分が家族の意思決定の主体であるから、そう簡単に家族外の人に相談するべきではないという昔ながらの男性のプライドを頑なに保持していたりします。

また、男性は女性のように感情をうまく扱うことができません。男性たちは子どもの頃から不言実行、弱みを見せてはいけないと教え込まれてきました。悲しみ、不安、恐怖などのマイナスの気持ちは「弱音」とみなされ、それを他人に伝えることに大きな抵抗感を抱きます。本当は男性も社会や家庭でたくさん傷ついているのですが、その気持ちは自分の心の中に押し留めます。そして、それが耐えきれない程大きくなったときに、「怒り」という気持ちに変化して、まわりの人を攻撃します。男性としても本当は怒りたくないのですが、怒りによってしか自分の気持ちを表出する手段を持たず、結果的に妻や子どもとの距離を遠ざけるという悪循環に陥ってしまいます。

その点、あなたのご主人はとても偉いと思います。父親がひきこもる子どもを心配すると、不安の気持ちが怒りの気持ちにスイッチしてしまい、子どもを叱り飛ばすことが多いのですが、そうではなく息子さんとの会話を試みたのですね。とても困難だったと思います。それまで忙しくて子どもと接する機会も限られていたのでしょう。子どもが大声を上げたり暴力を振るえば、父親としては当然きびしく叱ろうとします。もしここで叱っていたら、息子さんはますます脅威という壁を乗り越えられなかったでしょう。

あなたも母親として努力されたことが功を奏しました。家族の危機に直面し、父親が子どもに向き合う決心ができた背後には母親の力があることにお気づきでしょうか。母親自身がカウンセリングに通い、母親としての関わり方についてよく振り返り、父親に対しても子どもの問題に向き合うように働きかけていました。その段階では夫がカウンセリングを受けることはできませんでしたが、そのような妻からの働きかけが夫の気持ちの中に残っていて、それが後に息子さんと向き合おうとするエネルギーになったのだと思います。

2014年1月23日木曜日

ひきこもり脱出講座最終回のフィードバック

ひきこもり脱出講座に参加されたみなさん(と読者のみなさん)へ

本日(1月8日)の講座、お疲れさまでした。
いつもは次の回に前回のフィードバックを行いますが、今回が最終回で次の回がないので、ブログ上でプライバシーに配慮してフィードバックします。本当はもっと早く上げたかったのですが、遅くなり済みません。
  • みなさんの貴重なお話がたくさん聞けて、今回で終了なのが残念です。主人が一度も参加できなかったことも残念で、ご夫婦でいらっしゃっている皆さんが羨ましく思います。
今回の講座はウィークデイの昼間でしたので、お仕事をお持ちの方はなかなか参加しにくかったと思います。それにも関わらず、今回ご夫婦おふたりで参加した方が多かったのはとても良かったと思います。今後の講座は、週末や夜間の開催も考えたいと思います。
  • ほかの家族の方の話を聞いて参考になることもあり、大変良かったです。今回でこの関係が終わってしまうことが少し残念です。
次回に続けてご参加ください。新しいメンバーを迎え、お話がさらに発展し、深まると思います。
  • 皆さんのお話がとても勉強になりました。もう少し回を重ねてもいいかなと思いました。やっと話が深まったところだと思います。ほかの家族の話を聞くと、自分だけで考えていたことがいかに狭かったかとよくわかりました。
  • 同じものを見るにも高さを変えたり方向を変えたることはとても大切だと考えさせられました。
普段とは異なる視点を持つことはとても重要です。
通常、家族はいつもの変わらぬメンバーで長い年月を過ごしていますので、ものの見方や考え方はひとつの方向に固定されてしまいます。親子関係や夫婦関係も、ひとつのパターンに固定してしまいますね。家族の力でひきこもりを解決するためには、今までとは異なる家族の関わり方・パターンをどう見出すかということが大切になります。
  • 参加者の質問や意見に対して、先生が明快に答えるのではなく、口ごもり、ためらいながら答えていたことが印象に残っています。それが「届く言葉」になっていくのだと思いました。
いえ、別にわざと口ごもっていたわけではありません(笑)。
でも、明快には答えられないんですよ。
「子どものことをどう理解したらよいのだろうか、どう対応したらよいのだろうか、、、」
といったみなさんからのご質問は、「これが正解」という答えがありません。各家庭の事情によって千差万別なので、どの場合にも通用するような「正解」がありません。みなさん、どうしたらよいのかわからなくなり、戸惑っていらっしゃいますよね。それにお答えする私もどうしたらよいのかわからなくなり戸惑います。私が今まで経験してきたご家族のお話や知識を総動員して、その都度考えています。だから口ごもってしまいます。それがかえって「届く言葉」として受け止めていただけることはうれしいです。
  • 知らず知らずに親の価値観を押し付けていたであろうと、息子がこうなってからずっと考えていました。
  • 親の価値観をこれから変えてゆかなくてはならないかもしれません。とても大変だと思います。まるべく価値観を押し付けないようにして、息子の価値観を認めていきたいと思います。
今日は「親の価値」という話がたくさん出ましたね。とても大切な部分です。ひきこもる人は自分の価値(自分はこうすれば良いのだという指針、自信、希望)を見失っています。

親が子どもにどう価値を伝えるかということがとても大切になります。うまく伝えると、子どもは自分の価値を取り戻すことができます。下手に伝えると(あるいは伝えることを止めてしまうと)子どもは価値を見失ったままです。
「価値」は自分一人の単体では生まれません。別の価値を参照して自分に取り込もうと試行錯誤する中で、自分自身の価値が生まれます。
子どもが成長し、自分自身の価値を創っていくために、家族やまわりの人々の価値との相互作用が必要です。
例えば、社会の中で自立して生きていくためには、「私はこういう道を進みたい。勉強という価値が重要だ。良い学校を目指したい。良い職業を目指したい、、、」という価値が大切です。
子どもは家族や社会からの承認を得て自信を獲得するために、まわりからの期待に応えようとします。それを達成することによって自信を獲得し、また逆に達成できずに自信を喪失したり繰り返しながら自分の身の丈に合った価値を作っていきます。ちょうどよいサイズの価値を創るためには成功体験(喜び)と友に失敗体験(痛み)が必要です。

子どもは成長していく中で、自分の価値を人(社会)との交わりの中で試しながら修正していきます。親も同様に親から子どもに伝えるべき価値を常に見直します。子どもに期待し、子どもの能力や性質を見極め、高すぎないか、低すぎないかを調整します。

ある程度は親の価値を子どもに押し付けることは必要です。親の価値を子どもに提示して、無理かなと思っても、すぐに撤回してはいけません。ある程度は押し付けたままにして、子どもが乗り越えるかどうか見極めます。もしかしたら想像以上にがんばって親を乗り越えるかもしれません。あるいは、ダメかもしれません。走り高跳びのようなものです。1回目、2回目に失敗しても3回目に成功するかもしれません。3回失敗したらハードルの高さを下げなくてはなりません。

以前、子どもにかけた期待が成就できず、うまくいかなかったために、もう期待することを諦め撤退してしまう親がいますが、それではダメです。親は子どもに期待し続けなければなりません。それが高すぎても低すぎてもいけません。自分にとって大切な他者(=親)が見守るからこそ、子どもはがんばることができます。

親自身は自分の価値に固執してはいけません。親が子どもに伝える価値を子どもの状況に合わせて柔軟に調整するためには、親自身が他の価値を知り、試行錯誤することが大切です。親も、自分の親から伝えられ内在化した価値を心の中で参照しているはずです。夫婦のあいだでその価値を参照し合うことができると、より柔軟な価値を生み出すことができます。ひとりよがりにならず、適切な価値を伝えるためには対話が必要です。子どもと対話し、夫婦やまわりの人との対話が新たな視点を生み出します。この講座やカウンセリングも、対話を生み出す機会を提供します。
  • 価値観を変えることの難しさ(特に父親)はどこも同じだと思いました。確かに、それぞれの家庭に引き継がれた価値観に縛られ、子どもが苦しいとひきこもってしまったのだと思います。100%でなくても、努力して変えられる範囲で変えたいと思います。
父親の関わり方、母親の関わり方についてもお話がたくさん出ましたね。
確かに、父親にとって難しいことです。
多くの家庭は父親が家族の価値を作り、母親がそれを支えていきます。最近ではその逆のパターンや、価値を作らない父親も増えてきましたが。多くの男性は、「しっかりしなさい。(しっかり価値を作りなさい)。ぐらついてはいけません!」と教えられてきました。女性はまわりに合わせるために柔軟で、男性は価値を作るために堅牢であるべきと教えられてきました(少なくとも私の感覚では)。ひきこもりは家族の価値を見直す良いチャンスです。母親は割と柔軟に対応しますが、父親はなかなか不器用です。理屈ではわかっていても、長年しみついた「ぐらつくな!」という癖が抜けきれません。
  • 夫が自分から子どもの就労支援の施設を見学に行こうと言い出しました。これまで夫は自分から動こうとせず、初めてで驚きました。これも田村先生の講座に通ったお蔭と感謝しています。
それはとても良かったです。ご主人は講座で多くは語りませんでしたが、講座を通してきっと多くのことを考えたのですね。その中で今までとは異なる新たな視点を獲得されたのでしょう。

親の力、特に父親の力は大きいものです。家族が無意識に設定した価値を変えることができたら、子どもはどんなに気持ちが楽になるでしょう。
子どもはその価値を成就し自分の価値として取り込み、引き継ぎたいと願います。それが思春期の自信獲得につながります。日本の中流家庭において、「良い学校」や「良い職業」に就くことはとても重要な価値です。しかし、それはあまりに重要で、あまりに自明のために、家族の中で案外語られないのではないでしょうか。家族カウンセリングの中でも学歴の話は私の方から振らないと、なかなか語られません。特に、立派な価値(学歴や職業)をお持ちの家庭では、それを成就することが大変です。うまくいけばよいのですが、うまくいかないとそのことが自信を獲得する大きな障害となります。
語ってしまった方がむしろ楽で、語られない暗黙の価値が子どもを苦しめます。それを成就しないうちは親から認められない、自分の価値を見いだせないと悩みますが、そのことを子ども側から言語化できません。
そのようなときは、あえて親が家族の価値を明らかにして子どもに伝えてあげましょう。
「お父さん自身は、こういう家庭に育ち、こういう価値を成就してきたんだよ。」
「あえて言わなかったけど、君が子どものころ、お父さんはこういう価値を伝えたかったのよ。そのことはあえて口に出さなかったけど。」
「今の君のことを、お父さんは真剣に考えている。講座にも参加した。そして就労支援施設にも行ってきたんだ。なかなか良かったよ。君にはこういう道が残されている。それは負け犬なんかではない。お父さんも承認できる、立派な道だよ!」
そのように伝えてあげて下さい。そうすれば、子どもは親によって認められた道を見出すことができます。
  • 価値観を変えるのは難しいけれど、別の価値観があることを知り、認めることはできると思う。私は夫の価値観と違うことを今では認めることができるようになりました。自分とは違う価値観を全部否定するのでもなく、受け入れるのでもない。自分なりに少し自信が持てるようになりました。でもそれは息子の状態に影響されますが。
それはとても良かったです。
ご両親の異なる二つの価値があることが良いことです。それらを相互に対比させ、認めるべき部分は認め、認められない部分は排除して、新しい、身の丈にあった価値を作ることができます。ご夫婦でお互いの異なる価値を全面否定もせず、全面肯定もせず、「あーだこーだ」とよく話し合ってみてください。
講座でもみなさん各家庭の「価値」を紹介し合いましたね。私からは取り立ててそういう流れを作ろうという意図はありませんでしたが、終わってから振り返ってみればそういうことだったんですよ。私の専門家としての「価値」もいくらかみなさんにお伝えしましたが、あまり前面には出しませんでした。私の立場をあまり出しすぎると、みなさんが相互に出し合えなくなってしまいますので、私はむしろみなさんの価値をお互いに引き出す役をとりました。

自分の価値、つまり自信とかやる気とか希望とかを生み出すためには他者性が重要です。
我々は家族や職場や友人や、社会の中で常にいろいろな他者と接していますので、その重要性に気づきません。
家にひきこもり、他者との交流がなくなると、この「他者性」を失ってしまいます。
そうすると、自分の価値を生み出せなくなります。禅僧のようにじっとひとりで瞑想していても、新たな価値は生まれません。本でもネットでも人でも構いません。自分が参照できる何らかの情報がなければ、人は成長しません。ひきこもっている人は、他者性の資源を家族に頼らざるを得ません。本やネットでも良いのですが、それらは単に情報のみで「人」が介在しません。自分によって大切な人によって語られる情報が、本当の意味で参照できる生きた情報です。

学校や会社や友人や、周りの人の中で生活していれば、親がそれほど関与する必要もなく、人は変化していきます。しかし、ひきこもりの場合には、本人が接することができる限られた人(=家族)が如何にうまい具合に「他者性」を伝えられるかということがとても重要になります。

私もみなさんがいるから、これを読んでくれるだろうと期待するから、こうやって文章を書くことができます。誰も読まなかったら書くはずありませんもの。(日記は後で読み返す自分という他者がいますね)。
このブログに書いているネタも本にしようと今がんばっています。
私が数年前重要な他者を失い、その痛みをさまざまな形で他者と関わることによって癒してきました。
他者によって傷つけられると、とても痛みます。それにもう懲りてしまったのがひきこもりです。
他者によって受け止められると、大きな喜びになります。それを原動力にして我々は日々を生きているんですよね。
良い意味で他者がいることって、とても大切だと思います。
ひきこもりなどの問題を抱えた親ができることも、この一言に尽きると思います。
  • 「また父親だけで集まりましょう」というのは、「カウンセリングの場ではなく集まる」というつもりでしたが、それだとただの飲み会になりそうで(それも良いのかも知れませんが)。先生がそういう場をお考えというのはとても興味があります。
  • 次の機会をいただければ、また参加したいです。
次の講座は4月以降に予定しています。
それとは別に、新たな講座として
「ひきこもり脱出講座:特に父親の関わりについて」
というような具合に、父親に焦点を当てた講座を作ろうかなと考えています。参加できるのは父親・母親どちらでも結構です。まあ、これも現時点で考えていることで、また変わるかもしれません。決まりましたらウェブサイトにお知らせします。
  • 質問)講座に出たことを息子に言おうと思いますが、主人が反対したらどうしたらいいでしょうか?もっと仕事のことや人と会う会などのことを息子と話し合いたいが(今までもしてきたが)主人は「あまり余計なことを言うな」と言うので難しいです。どうしたらいいでしょうか?男性だけの会など、またグループや個人カウンセリングいずれかをやりたいが、主人はここで終わりにしたいと言っていたので。
講座や仕事のことを息子さんと話し合うことも、今後もグループや個人のカウンセリングを続けることも、とても良いことだと思います。しかし、ご主人の意見がとてもネックになっているようですね。息子さんにどう関わるかということを考えるためにも、まずご主人ともう少し話を深めてはいかがでしょうか。今回あなたはご主人とともにとても熱心に参加されたと思います。ご両親ともそれぞれお子さんのことをとても心配して真剣に考えていらっしゃいますね。それはとても良いことです。

 なぜご主人は「息子に余計なことを言うな」とおっしゃるのでしょうか?なぜもうカウンセリングはもう終わりにしたいとおっしゃるのでしょうか?そこを奥さんからご主人によく尋ね、ご夫婦で話し合ってみてください。ご主人はご主人なりにいろいろ考えていらっしゃいます。多分、ご主人はまだ語り切れていない隠された不安や怒りなど、あまり触れたくないお気持ちを抱えていらっしゃるように思います。

2014年1月8日水曜日

プライドのリセットと親の価値観

Q 息子のことでご相談させてください。2年前に進学校をぎりぎりの成績で卒業し、1浪目は予備校に通いながら受験勉強をしていました。2浪目の秋からもう間に合わない、このままだったら落ちてしまう、だったら受験しないほうがよいと言い出し、部屋にこもるようになりました。 本人は国立大学の医学部に行きたいと思っており、それがダメなら生きている意味がないと言います。学歴主義の世界で生きていた自分はもう取り返しがつかない。無からはどんなに頑張っても有にはならないと。 親から見ると、息子は完全に自分の人生をあきらめたように見えます。勉強はいっさいせず、時々「俺はどうなるんだ」、「どうなってもいいや、もう捨てた」と言います。毎日、部屋の中にいて、ほとんど出てこなくなりました。親として、どのような対応をすればよいのでしょうか。


 A 息子さんは中学までは進学校に行かれるほど成績が良かったのですね。その中で自分は成績優秀であるという高いプライド(自我像)を身につけられたのだと思います。しかし高校では思うように成績が伸びず自分が大切にしてきたプライドに叶う進路を見出すことができません。息子さんにとっての「生きる意味」とは彼のプライドに叶う進路、つまり国立大医学部に進むことなのでしょう。それが叶わなければ生きる意味を見失い、自分を捨てるしかなくなります。
 息子さんは自分のプライドをリセットすることが必要です。自分に課した期待どおりの100%の自分を諦め、60%70%の修正された自分を受け入れなければいけません。それは、本人自身が傷つき、悩み、葛藤した末に得られることです。そのプロセスに親は直接関与することができません。
 一度築いた価値観を崩し、別の価値観を獲得することはとても困難です。親ができることは、親自身の価値観を点検してみることです。価値観は家族同士相互に関連します。口に出して言わなくても、親の価値観は子どもの価値観に伝わります。親が価値観を見直すことができれば、子どもも自分の価値観に対して自由になることができます。

私自身の例をご紹介しましょう。
私には3人の子どもがいます。末の次男は中学3年生でこれから高校受験を迎えます。彼の両親も兄も姉も、公立の進学校に進学しています。彼も同様に希望していますが、成績が不十分です。成績表はオール3のレベルです。それまであまり勉強しなかった彼も2学期にはがんばりオール4に近いレベルまで成績が伸びました。私はそれをほめるのですが息子はあまり喜びません。今の段階で自分にOKを出してしまうと、後にその期待が裏切られた時に傷つくことを知っているのでしょう。
 学校の先生や友人に相談しても、何の問題もない、今のままで良いじゃないかと言います。私ももし自分の子どもでなければ何も問題とは思わないでしょう。しかし、自分の子どものこととなると心配が尽きません。息子の将来は大丈夫なのだろうか?幸せになれるのだろうか?
 幸せになれないかもしれないと心配するのは子どもを信じていないということです。親のエゴに過ぎません。
 こうやって自分の価値観を点検してみると、自分が如何に学力(頭の良さ)というひとつの指標に縛られてきたかということがよくわかります。世の中にはさまざまな価値があります。サッカーがうまかったり(運動能力)、背が高かったり(身体能力)、イケメンで女の子にもてたり(美しさ)、ピアノや絵画が上手だったり(芸術的才能)、、、、いくらでも自己を承認の指標はあるのに、それらを使わず学力のみに頼ってきました。
 私は親のようになりたいと思ってきました。いえ、当時はそんなことは思いませんが、今から若い頃を振り返れば無意識にそう思っていたに違いありません。親の価値観に叶う人間になり、親からの承認を得たかったのだと思います。自分の命を作った張本人である親から認められることで、自分が存在する価値が出てきます。
 学歴なんて生きる上で全然すべてではないはずです。偏差値が高くなくても、家族の期待に応えられなくても、人は十分に幸せになるチャンスはあります。それはあまりにも自明のことなのに、自分自身の子どものことになると思考が停止してしまいます。どうやって次男を承認したらよいのだろう。どうやったら次男は親からの承認感を得ることができるのだろう。
 私の両親も、私自身も妻も、上の子どもふたりも、みな学力という資質を頼りに自尊心を作ってきました。次男がそれに見合う資質を持ち合わせていないとしたら、彼はどうやって生きる自信を獲得していくのでしょう。自分自身も家族を見渡しても、学力以外の価値を糧に自信を得てきた人を知りません。クライエントなど家族以外の人ではたくさんいるのに、そういう人々には目が向かないのです。
 今、次男に向き合い、私は父親として何を与えたらよいのか自信がありません。このように考えること自体、親の心配し過ぎであると理屈ではわかります。親の思惑とは別に、子どもは自分で試行錯誤して価値を作っていくのでしょう。そのように信頼してあげなくてはいけません。そう思いつつも、何とか子どもが価値を見出すための環境を整えてあげたいと考えています。
 次男には無条件の承認を与えたいと願っています。根底の部分で彼を信頼したい。勉強ができなくても、暴れん坊でも、性格が悪くても、根底のところでは彼は「良いやつ」なんだ、生きる価値がある人間なんだというメッセージを送りたいのです。親にとって彼はいかにかけがえのない存在であるか。それは彼を甘やかしたり、彼の言いなりになることではありません。彼の内面の強さを信じて、彼が獲得したものや、彼の努力を評価したいのです。偏差値の高い大学に行かないかもしれない。高卒かもしれない。正社員になれないかもしれない。フリーターかもしれない。彼の人生がどんな状況であっても、私にとっての彼の価値は変わらない。幸せになってほしい。この世に生を受けたことを喜んでほしい。でも、私はそれができるか、心の底からそう思う事ができるか自信がありません。その経験がないからです。

これが私の本音です。周りから見ればごく単純なことのはずなのに、当事者の位置に座ると、客観性を失ってしまいます。