2011年7月17日日曜日

ローマでの体験

 1997年6月、ローマのマウリッツィオ・アンドルフィーという著名な家族療法家のところに、世界中から12人ほどの家族療法家たちが集まる2週間のワークショップに参加してきました。

参加者たちは、みな精神科医や心理の専門家なので、臨床場面でのクライエントの話がテーマなのですが、突き詰めて話し合っていくと、自分自身と自分の家族の話に立ち戻っていきます。参加者の多くは、自分と親との関係が解決されないまま心に残っていることがわかります。特に、男性の場合は父親との関係が、女性の場合は母親との関係を問題にしているように思います。
家族というものが、どれだけ矛盾に満ちたものであるか、それは問題を抱えた家族に限らず、だれにでも存在することを思い知らされました。たまたま専門家として家族に関わる必要性から自分の家族を見つめ、通常は見過ごされる矛盾を言語化できる機会を得たから明確に見えてくるのですが、それは誰でもが持つ普遍的なことでもあるのです。

自分の感情や体験を否定することなく、どれだけ自分を理解し、それを表現できるか、それが人間として、治療者としての大きな力になることを体験しました。参加者と共に、自分の家族について、自分の父親についてたくさん語り合いました。ちょうど精神分析家がその訓練として教育分析、つまり自分自身の無意識について分析するのと同じように、家族療法家の訓練として、自分の家族について深いレベルで考えるきっかけとなりました。

家族で往復書簡のすすめ:新しい父親像を発見するために(彩流社)」より抜粋。

2011年7月8日金曜日

きわめて前向きな精神医療

今までの社会は「弱さ」に不寛容だった。

「強く」なければ生きてゆけない。そうしないと周りの世界から取り残されてしまう。
戦前・戦後、高度経済成長期まではそういう雰囲気だった。弱者をカバーする余裕が社会にはなかった。効率性を追及するためには、弱者、異常者を切り捨てるしかなかった。

バブル崩壊以降、成長神話が崩れ、上昇志向からいったん降りて「弱さ」を認める社会へ転換しつつある(と期待したいが)。
社会の弱さ、組織(会社、学校、家庭など)の弱さ、そして個人の弱さ。
障害や弱さを除外するのではなく、メンバーとして許容し受け入れていこうとする姿勢がバリア・フリーの理念だ。

社会全体がそれを心から受け入れるためには、だれもが持っているはずの自己の弱さを認めることから始めなければならない。自分の弱さを受け入れることにより、相手の弱さも受け入れることができる。
だれにでも強さと弱さの両方を持っている。その量と質が異なるだけだ。自分の弱さを認めず、自分は強い人間だと思い込んでいたら、相手の強さしか認めることができなくなる。

社会がそのような考えを認められるようになれば、「心の弱さ」もだれもが持つ一般的なこととして認められるようになる。
心の治療は「弱さ」を取り除くことではない。弱さを抱えつつ、いかに誰もが持っているはずの隠された「強さ」を見出せるか。弱さを抱えつつ、どう生きながらえることができるかという観点に変化してくる。
自分の「弱さ」を否定せず受け入れるためには、勇気が必要だ。それが達成できたら、本当の「強さ」につながる。

そうすれば、精神医療をマトモでない人を選別するという消極的な問題解決手段から、より良く、より強く生きるための積極的な問題解決手段として使うことができるようになる。
だれでも弱さを潜在的に抱えて、相互に頼り、支援されながら生活している。その弱さが顕在化したとき、積極的な心の支援を得ることにより、弱さを克服して、次の強さに向かうことができる。

弱さが顕在化するときとはどんなときか?
大きく分けるとふたつある。

1)だれにでも起きる、ライフサイクル上のターニングポイントとしての脆弱性

生まれてから死ぬまで、変化が顕在化するとき、一定のバランス状態(恒常性)から、次のバランスに乗り換えなくてはならない。家族システム理論では、第二次変化と呼ばれる。

第一次変化=システムの在り方は変えず、強度を変えることにより変化すること。車でたとえれば、アクセルを踏んでスピードを上げるように。

第二次変化=第一次変化だけでは足らず、システムの構造自体が変化すること。車でたとえれば、アクセルの限界が来て、ギアを入れかれること。ギア比という構造を変化させることにより、エンジンの回転数とタイヤの回転数の関係性を変化させる。

人の一生(ライフサイクル)を順に追い、心の弱さが顕在化しやすい時期を確認してみよう。

幼児期:赤ちゃんから子どもへの変化。自我の獲得が、第一次反抗期として現れる。

学童期は比較的安定していると言われてきた。しかし、家庭や幼稚園・保育園という小さく慣れ親しめる環境から、学校という公的な場への移行が「小1問題」として現れることもある。

思春期:子どもから大人への変化:気持ちの上で依存から自立へ大きく変化する。

進学・就職:経済的に養ってもらう受け身の立場から、自分で収入を得るという社会的責任と自信を獲得する。

結婚:永続的(最近はそうでもないが)で、安定した緊密で排他的な二者関係を形成し、維持してゆく。セックスなら馬でもできるが、関係を長期間維持することは人間しかできない。

出産・子育て:何もわからず生まれてきた子どもは全面的に親に依存する。それに持ちこたえ、安定した養育環境を提供する。親自身がしっかりしていないと、子どもをしっかり育てることは不可能だ。

子どもの自立・独立:子どもが成長し思春期・青年期を迎える。今まで育んできた親子の緊密な関係をほどき、子どもの船出を許す。大切なものを手放すことはとても辛く、勇気が必要だ。

中年期:身体的な衰えが明らかになり、身体のバランスが危うくなる。若いころのような無理は効かない。健康のバランスが崩れ、生活習慣病、メタボリック症候群、更年期障害などなど。さらには、退職による社会生活の撤退、親の介護と死別など、今まで持っていたものを徐々に放してゆく。やがて迫ってくる自己の終焉を受け入れるプロセスでもある。

このように、生まれてから死ぬまで、越えなければならないハードルが何重にも用意されている。うまく飛び越える人が偉いわけではない。だれだって、つまづくことが当たり前だ。そういうときこそ強がらず、自分の弱さを認めて、他者からの支援を受け入れることが大切だ。そうやって、力強く、ハードルを越えてゆけばよい。

2)突発的な出来事としての危機によるストレス

事故、災害、病気、喪失、、、

これらは、お決まりのコースとして順番に用意されてはいないが、だれでも起こりえる。予期できないだけに、突然襲ってきたときの痛手は大きい。
異常ではない。しかし、乗り越えられず、立ち止まってしまう場合も少なくない。
だれでも乗り越える力は潜在的に持っているはずだ。でも、それはソロで機能するわけではない。まわりの支えがあってこそ、だれもが秘めて持つ力(レジリエンス)が発揮される。そのお手伝いのひとつが精神医療でもある。

<まとめ>
弱いから、ダメだから、甘えているからではない。
だれもが経験する困難を前向きに乗り越える力を得るための精神医療。
それは、従来の病気の発見・治療という視点とは180度逆である。
私が新たな精神医療としてこのようなイメージを持っている。

精神科医療が日本で難しいわけ

日本では、精神科治療が積極的な問題解決手段であると認められていないという面があります。

だれでも自分に問題や異常があると認めることは困難です。
身体の病気と比べてみましょう。
私は先日、人間ドックに行きってきました。もう15年以上前から毎年受けています。今のところメタボすれすれくらいで、それ以上の異常は発見されていませんが、もし自分でも気づいていない異常が何か見つかったら、とてもイヤな気持ちになるでしょう。
早期発見・早期治療。医療者側に立てば、その重要性はよくわかるのですが、治療を受ける側に立つと、それはとても困難なことです。

内臓に影が見えました。
血液検査の数値が異常に高いです。
至急、精密検査を受けてください。
もしかしたらガンかもしれない。治る見込みのない病気かもしれない。

とてもイヤな気持ちになりますね。病院なんて行きたくない。行けば、その現実に突き付けられます。でも、行くしかないですね。勇気を出して病院に行きます。

「手術をします。家族を呼んでください。」

家族はびっくり、大慌て。でも非常事態、家族みんなで一致団結して困難を乗り切ろうとします。
治らないかもしれない、治るかもしれない。でも、そんな結果は二の次で、とにかくみんなで協力します。

精神科の場合、心の影は客観的には見えません。レントゲンにも血液検査にも反映しません。
何かがおかしくなり、日常生活がうまく回らなくなります。たとえば、仕事や勉強ができなくなったり、気分が塞ぎ、ふつうの生活に支障が出るなど。そのことをご本人が感じるか、あるいはまわりの人が気づきます。
そうなったらすぐに精神科や心理カウンセリングに行くかというと、そうでもありません。
精神科に行くのはとてもためらわれます。
日本の場合、勇気を出して行くというイメージではありません。
勇気が出ないから、仕方なく負け犬として行くというイメージの方が近いのではないでしょうか。

心の病気は治らないもの。
心の病気は、心の弱さから来ている。
甘えているだけ、怠けているから、心が未熟だから。人間ができていないから。
ダメな人間だから。

精神科医に行くということは、そのようなマイナスのレッテルが張られ、「ふつうの人」の道から外れてしまうという不安感があります。

昔の精神医療はスティグマ化、つまり異端者として辺縁に押しやられる精神障害者、狂人、理解不能な人として扱うための差異化の装置でした。
「精神病って治るんですか?」
その疑問の前提こには、もう治らない=別の世界に行く人、普通にはもどれない人という含みがあります。

そのように考える根底には、日本人の自然観があります。
我々は自然であることを大切にします。自然=「あるがまま」にしていれば、必ず自己治癒力が働いて、問題を乗り越えられるはずという究極の性善説です。

精神科に行くということは、その力をあきらめてしまっているとみなされます。心の問題なんて、自分の力で自然に乗り越えられなければいけない。それができないのは、弱い人、ダメな人なんだと。

日本でも海外でも旧来の精神病院はマトモでない人々を、マトモな社会から分ける役目がありました。精神科単科の病院の多くは社会から隔絶された町はずれににあります。まわりに誰もいない場所。収容所のように「狂人」を隔離していました。
アメリカ映画の名作、ジャック・ニコルソン主役の「カッコーの巣の上で」がその状況をよく表しています。私が若い頃、勤めていた病院もそうでした。

2011年7月5日火曜日

とりあえず「話し合おう」派と「考えてみます」派

「準備周到派」と「臨機応変派」に続く、ユング心理学の第二弾です。

外向派=「外の世界」が好き(Extroversion)=「話し合おう」タイプ
このタイプの人は、他人や世の中のできごとなど外の世界で起きていることに関心を持ちます。他の人と関係することが好きで、そこからエネルギーを得ます。
人と一緒にいることを好み、まわりに誰かがいる方が落ち着きます。
書くことより話すことが好きです。
自分を人に表現することが多いです。
関心を深めるより広げることが好きで、話しながらまとめて行きます。
一見、活発で興味・関心が旺盛に見えます。
いろんなひとと広く交流するのが好きです。グループでの話し合いを好みます。
聴くより話すことを好み、その時のはずみで質問したり、話したりしながら考えがまとまっていきます。

内向派=「内の世界」が好き(Introversion)=「考えてみます」タイプ
このタイプの人は、自分の内の世界起きている思索や体験に関心を持ちます。深く内省することからエネルギーを得ます。
人と一緒にいるよりは、ひとりでいることを好みます。
話すことより書くことが好きです。
自分のことをペラペラ話しません。
考えが十分にまとまってから話します。
興味を広げるより、今していることに集中して深く掘り下げることが好きです。
一見、静かで穏やかに見えます。
少数の人と深く関わるのが好きです。1対1のやり取りを好みます。
話すより聴くことを好み、じっくり考えをまとめ、時間がたってから話します。

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これも前回の話と同じく、どちらが良い・悪いということではありません。
外向的=活発で元気。
内向的=ネクラでオタク。
といったイメージがありますが、ここでいっているユングの内向・外向は、エネルギーの向き方の違いであり、一般用語の内向的・外向的とはちょっと異なります。

ここでも、同じタイプ同士だと何となくしっくりきますが、異なる場合、
内向の人は、外向の人が「よく考えずに口から出まかせ言っている」と感じたり、
外向の人は、内向の人が「なにもしゃべらないから、何も考えていないのでは」と受け取ったりします。
このような場合、外向タイプの人の言葉は必ずしもじっくり考えられた末ではないことを理解ます。
また内向タイプの人が沈黙していても内界では深く考えている場合もあることを理解します。

これはユング心理学にもとづくMBTIタイプ論による性格の理解です。私自身はユング派ではないのですが、これだけは理解しやすいので使っています。全部で4種類あるので、あと2種類紹介しますのでお楽しみに。

自分のタイプを知ると、なかなか便利ですよ。少なくとも、血液型よりは。

2011年7月4日月曜日

心の支援者のための月例研究会

7月1日(金)に第1回心の支援者のための月例研究会を開催した。
開業からまだ2週間ほど、PRも行き届いていないので果して参加してくれる方はいるのだろうか。はじめの何回かは参加者ゼロになるんじゃないかと思っていたら、予想を超える6名の参加があり、とても嬉しく思いました。

講師が一方的に語るような講義形式の研究会を予想していた方、グループ形式の研究会の経験がない方もいて、始めは戸惑い、緊張していた方も2時間終了する頃には打ち解けて、多少ともこの研究会の主旨・やり方など理解していただけたのではと思います。

研究会で話題になったことを、アトランダムにいくつかご紹介すると、、、

  • 複数の人々との関係づくり

家族療法が個人療法と異なる大きな点は、個人ではなく複数の人を対象としていることです。カウンセリング、あるいは心の支援の基礎となる信頼関係を1対1の関係ではなく、複数の人とどのように作っていくかとても大切です。このプロセスに十分配慮し、うまくいけば家族への支援は半分うまくいったと言っても過言ではありません。逆に言えば、このプロセスが不十分だと、その後、どんなことを行ってもうまくいきません。
家族メンバーはお互いに立場や考え方・見方が微妙に異なります。ひとりの人に理解・共感すると、その人と意見を異にする(対立する)人とはうまく関係がつけられなくなってしまうのではないか。そこをどう考えるかがとても大切です。
ひとことで言えば、
・事実レベルの共感ではなく、そこから一歩引き上げたメタ・レベルでの共感。
・差異の根底にある共通点さがし。
ということになります。


  • 年上の家族への対応

親など、自分よりも年齢の上の人にどう対応したらよいのか。
若い支援者にとって、自分には子どももいないし、結婚だってしていないし、自分が経験していない夫婦関係や子育てのことは扱いにくいと感じるものです。
それを、どう乗り越えたらよいのか。
「若さ」を弱みから強みに変換するにはどうしたらよいのか。


  • 漠然とした感情と、具体的な感情

つらい。苦しい。イヤだ。気持ちがざわざわする。
これらは、非特異的な否定的な感情を表す言葉。
こういうい言葉が出てきたら、気持ちを掘り下げてゆくport of entryにたどり着けたチャンスです。
無理せず、やさしく、丁寧に、その気持ちを深く伺っていく。


怒り。悲しみ。恐怖。喜び。
これらは、特異的・具体的な感情を表す言葉。
この言葉が聞かれるまで、丁寧に掘り下げていく。

以上、簡単に研究会の片りんをご紹介しました。

2011年7月2日土曜日

35年ぶりの再会

 今回の海外出張で得たもう一つの収穫は、高校留学時代の親友に35年ぶりに再会できたことだ。
留学先のNorth Carolina州の高校で一番仲の良かったEddieとFacebookで再会し、Baltimoreに住んでいることがわかり、最終日に会いに来てくれて夕食を共にすることができた。
高校時代のEddieは積極的・発展的なボスキャラで、遠い国からやってきた英語もおぼつかない留学生にいち早く近づき、子分にして、よくつるんで遊んでいた。
35年ぶりのEddieは貫録も体重もたっぷり、最初誰だか分らなかったが、ボスキャラ性格は昔と変わっていない。学問・進学を志向したわけではない。高校時代は空手で鳴らした腕で隣の高校の悪ガキたちと渡り合った武勇伝を昨日のことのように生き生きと語る。高校を卒業し、軍隊を20年間勤め上げた後、ビジネスの世界に転じた。今は米国内を忙しく飛び回っている。
家庭生活もユニークだ。2回の結婚でそれぞれ作った2人の子どもたちは30歳と11歳になり、二人目の妻と住む下の息子と定期的に会っている。15歳下の美人女優のgirlfriendと二人でニューヨーク郊外に広い庭付きの豪邸に住んでいる。日本なら、安定した家族を築かない不埒な男とみられてもおかしくないが、アメリカではそういう見方はしない。自分の人生を自由に選び取り、成功した男としての自信に満ちていた(昔からそうだったが)。

2011年7月1日金曜日

American Family Therapy Academy参加記

Baltimore⇒Chicago⇒東京への帰路の機内にて。

今回のAFTA参加は2007年のVancouver大会以来だから4年ぶりの参加だった。
ふたつ口頭発表した。
ひとつは、ひきこもり青年とその背景にある日本文化について。
ひきこもりは日本独特と言われているが、本当にそうなのか。フランスにもタンギ(?)という映画があって、ひきこもりに近い状態だそうだ。どの文化にも見られることは見られる。しかし、日本ほど大きな社会問題にはなっていない。それはなぜだろうかというあたりを比較文化的に考察した。その具体的内容はまた別に書きます。
もうひとつは大震災について。3月11日の後に、アメリカに住むAFTAのメンバーたちから、日本は大丈夫!?なんていうお見舞いメールが何通か来た。それに返信する形で日本の状況を書いたら、日本の震災に支援に関する緊急ワークショップを開いてくれた。プログラム原稿の締め切りがとっくに過ぎて、印刷に出す直前だったのに、臨機応変に組み込んでくれた。海外でも震災と原発事故に対する関心は非常に高い。予想以上に多くの人が集まってくれた(と言っても10人くらいだったけど)。

ほかに参加したのはGender InstituteとMen's Institute。この学会は小規模(参加者200名くらい)でレベルが高い。30代以下の人は少なく、40代以上のskilled therapistsばかり。Gender Instituteでは自分のジェンダー体験を語り合う。出されたお題は3つ。
  1. Share some of your important experiences of gender that have shaped you as a person. How has your experience of gender evolved over time? Share any transformational moments that have affected your expression of gender.
  2. How has your experience and expression of gender been influenced by race/culture/class/sexual orientation/religious beliefs/generation and over variables of your identity?
  3. What experiences of gender have involved feelings of loss or fear? What aspects of gender have been rewarding and joyful?
8人のsmall group discussionで話し合えたことは(1)のみで1時間の時間切れ。続いて、全体80名くらいで集まり、今度はgeneration別に話し合ったことのfeedback。Fish bowl、つまり内側サークルの語りを外側サークルのaudienceが聞くという、この業界では割と定番のやつ。これは、男女ともに参加できる。
私が一番楽しみにしているMen's Instituteは男性のみの参加。Genderという属性でくくったsimilarityは、ethnicityを超えて参加者に大きな安心を与える。しかし、残念ながらLGBT (Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender)の人たちは来ない。Gender/Sexualityは人々の帰属意識をつよく作り上げる。Generation(年齢)も同様。何を語っても対立構造を生まないという安心感が、深い語りを促す。
AFTAはwhite, middle class, professionalのみの集団だ。Ethnic minorityも少ない。日本人は私ひとりだけだから、グループではない。Dominant groupに対抗するminority groupさえ形成されない。「例外」として参加しているようなものだ。

自分の発表と、これら参加型ワークショップ以外はほとんどパスして学会会場と同じホテルの部屋で寝ていた。今回は5日間という短い滞在だから、時差ボケを修正せず昼夜逆転状態、つまり昼間寝て、夜中に起き出して仕事をしていた。おかげでけっこうはかどった。

若いころ、学会は最新の情報を得る「学びの場」であった。最近は、あまり人の発表を聞く気はしない。別に、偉くなったわけではないのだけれど、、、。
今はむしろ人との交流の場、意見交換の場として利用している。大ホールのplenary sessionには興味がわかず、10-20人くらいの少人数ディスカッションが楽しい。