2013年4月30日火曜日

セミナーの申し込み

今回のセミナーを知り合いから「素敵な情報を見つけた」と教えていただきました。思わず読み込んでしまい、そのまま「えいっ」と、申し込んでしまいました。
そして今、ちょっと、怖くて、わくわくしています。

怖いですよね。
役に立ちそうと感じていただいたとしても、小人数だしかなり深そう。大丈夫かしら?
そう思われると思います。
そこを乗り越えてお申込みいただき、ありがとうございます。

スタートする前に、個別にお話をしましょう。
どのようなニーズがあって参加しようと思ったのか。
どんなことを得たいのか。
どんな内容なのか。
などなど、説明させていただき、また質問なども何でもお受けします。

なるほど、田村とはこういう人なのね。
セミナーはそういう雰囲気なのね。

などなど、納得してからご参加ください。
個別にお話をした段階で、やっぱり止めとこうかな、とキャンセルしていただいても構いません。

それでは、ご都合の良い〇日の〇時にお待ちしております。

2013年4月23日火曜日

有能な心の支援者になるための三種の神器


真に有能な心の支援者になるためには、次の3つのトレーニングが必要です。

1)理論の学習

  •  心はどういう仕組みで働いているのか(正常の心の理解)
  •  心はどのような問題を起こしうるか(心の病理や異常の理解)
  •  それをどうやって支援しうるか(〇〇療法とか、〇〇理論とか支援法の理解)

などを教科書を読んだり講義を受けて、主に座学として学びます。
大学などの高等教育機関で学びますが、生身の人間を扱う心の支援者はそう簡単ではありません。大学院レベルまでしっかり学んだ方が良いでしょう。
あるいは、職場に入ってからの新人研修、初期研修でやることもあるでしょう。

2)臨床実習
机上の空論ではなく、実際現場でどう使うことができるか、応用を学びます(というより体験します)。
私が医者のトレーニングを受けていた時、医学部の5-6年生はほとんど病院実習でした。資格取得前ですから治療行為は行わず、実際の治療現場を見学します。現場の関わり方は直接的・間接的のふたつがあります。

<患者さんに関わりながら習得するOn-Site Training>
医師の資格を得てから研修医という見習い医師(インターン)を何年かやります。
大学病院に入院すると、たいて主治医が3人くらいいます。新米の研修医と、主に関わる主治医と、それを統括する管理職的医者と。つまり、実際に責任を持って医療に関わりながら、経験を増やしていきます。

<患者さんとは別の場所で習得するOff-Site Training>
事例検討会とかスーパーヴィジョンに相当します。仲間や指導者に自分の臨床体験を語り、ディスカッションしたりアドバイスをもらいます。マンツーマンでガチンコ勝負したり、複数の人がいるグループの中で話し合ったり、いろいろな方法があります。

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以上はどの仕事、どの職場でも必要なふたつの要素でしょう。まず、理屈で理解して、実際場面で応用します。心の支援者は、それに加え3つめの要素が必要になります。

3)感情表出体験
心の支援者は理性に加え、感性という主観的な感情体験を扱うトレーニングが必要になります。

理性と感性を比較してみましょう。たとえば、普通の医者は感性よりも理性を使います。患者さんの状況を客観的にとらえ、正確に診断します。生物学的に指向して薬物療法を中心に行う普通の精神科医であればこのように理性中心でもうまく治療できます。理性的に関わるためには客観性が重要です。クライエントの内部で起こっている出来事を客観的に観察し、測定して数値化したり、操作的診断基準に照らし合わせて他の人でも理解できる標準的な言葉で記述します。

 一方、心(感性)という実体のない主観的な感情体験は測定したり記述することができません。客体化せずに、主観的な世界の中で扱います。そのためには支援者自身の主観的感情体験を用います。クライエントの話を聴き、状況を理解して、支援者の心の中に湧き起こる感情をもとにして、クライエントが心の中に抱いている感情を類推します。
 そのためには、自分の感情を自由に思い起こしたり感じることができるようにします。現在と過去の喜怒哀楽などさまざまな感情体験を想起できるようにします。どこかにブロックがあると、つまり痛みを伴い触れることができない感情領域があると、その部分に近づくと避けたり、怒りなどの反応で拒絶したりしてしまいます。多少の痛みなら大丈夫なのですが、本格的な痛みが伴っている場合、本格的なスーパーヴィジョン(というよりはセラピー)が必要です。
 そして、感情を表現し、それを他者に受け入れられる体験も必要です。それは心の支援者がクライエントに求めることですから、まず自ら体験してみます。普段は心の中に隠している感情を表現するときの不快感や痛み、そしてそれを他者に受け止められた喜びと解放感を体験します。つまり、自分自身が支援されエンパワーされた体験があると、クライエントにも同じことを勧めることができます。その体験がないと、そこまでやろうとはしません。心を掘り下げるには痛みが伴いますから、そんな危険を冒してまでやろうとしません。

 このような体験を経て、理性ばかりでなく感性を上手に扱えるようになります。頭が良くて頭脳明晰さだけでは良い心の支援者にはなれません。もちろんアタマは必要ですが、それに加えてココロを十分に耕すことが大切です。

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以上の三種の神器は、通常この順番で習得してゆきます。
1)理論の学習はアタマを働かせて覚えたり理論的に考えるのでアタマが柔軟な頃が良いでしょう。経験がなくとも、座学で習得できます。
2)臨床実習はクライエントという相手がいるから責任を伴います。少なくとも知識は持っていなくてはなりません。
3)感情表出体験はある程度の人生経験が必要です。まだ青いバナナでは、自分の体験を積み上げていくことに必死ですから、それを相対化する余裕はありません。ある程度バナナが熟し、多様な成功体験・失敗体験を積み上げ、人生の基盤を作り上げ、人生のスピードも緩んできた段階で、主観性を客体化する余裕も生まれます。
 また、ある程度の臨床体験を持ち、自身の体験を臨床におけるクライエントの体験と関連づけることが大切です。
 臨床体験が不十分なまま自己を掘り下げることも有用です。でもそれは心の支援者のトレーニングというよりも、セラピー体験、自己啓発セミナー体験、新興宗教体験と呼んだほうが良いでしょう。

2013年4月21日日曜日

誰が問題なの?:夫婦カウンセリングの考え方

  • うちの妻をどうにか治療してください。妻は精神的に異常です。うつ病なのでしょうか。とにかく、まともに話ができません。ヒステリーになって怒ったり、私を無視したりします。このままでは私の身が持ちません。
  • うちの夫を診てください。病気なのでしょうか?病気なら治療してください。ネットで調べたら「〇〇障害」や「〇〇病」の説明がよく当てはまります。言うことや態度がヘンなのです。話が全く通じません。
このような形で夫婦カウンセリングが始まる場合がよくあります。

たとえば、夫が「妻はヘンです。治してください。」と依頼があります。
承知しました。奥さんとお会いしましょう。
すると、妻は「夫がヘンです。治してください。」と逆に依頼されることがあります。
あれあれ、どうなってるの??
そこで専門家として客観的に判断します。次のようなケースに分かれます。
  • 夫も妻もふたりともクロ(病気などの問題を持っている)の場合。
ふたりのお話をうのみにするとそうなってしまいます。でも、実際にはそういうケースはまれです。
  • 一方がクロで、もう一方はシロの場合。
クロの方の治療を始めます。パートナーから依頼された場合はパートナーにも治療に協力してもらいます。
  • おふたりともシロの場合。
夫婦カウンセリングを行います。
おひとり、おひとりは良識を備えた良い方(シロ)なのですが、ふたりが重なると何故かクロになってしまいます。
その場合、その人にとって相手がクロと判断する状況について丁寧に伺います。
おひとりからだけではなく、もうひとりの方からも同じようにお話を伺います。
それを重ね合わせていくと悪循環のループにハマっている状況が見えてきます。
〇〇年前に結婚した時はあんなにハッピーだったのに、、、
当時から現在に至るどこかに、解決できない問題の根っこが隠されていたりします。
第三者からは客観的にその根っこが見えても、渦中のご本人には見えないこともあります。
あるいは、夫婦それぞれ根っこの見え方が異なることもあります。
根っこが解決されないまま放置状態なので、ふたりで話し合ってもプラスの結果が得られません。
いくら話し合ってもマイナスの出力しか得られず、お互いに傷つけあってしまいます。残念なことに。
何度か繰り返すうちに、もう傷つきたくない、、、という気持ちからそのことは触れないようになります。
その後もずっとお互いを避け通すことができれば良いのですが、実際の家族生活はそういうわけにはいきません。仕事のこと、お金のこと、子どものこと、実家のこと、双方の友だちのこと、、、、
話し合ったり協力しないとやっていけないさまざま課題に直面します。
意を決して話し合いますが、前の経験がよみがえってきます。
またうまくいかないんじゃないだろうか、、、という不安から防衛的になり、はっきり伝えられなかったり、黙ってしまったり、イライラしてしまったり、、、ああ、やっぱりダメだ、話し合えない。
話し合えないから黙ると、今度は黙ることが「無視された。ちっとも考えてくれていない!」という火種になり、悪循環のループにどんどんハマってしまいます。
そうなると、二人だけだと話し合いも黙り合いも、どんどんダメな方向に落ちてゆきます。
ふたりだけならまだよくて、仕事に影響が出たり、子どもに影響が出始めます。
これはもうどうにかしなければいけません。

こういう場合は、第三者を交えて話し合うことが功を奏します。
ホントはふたり話し合いたい、話し合わねばならないんです。でも、話し合えない。もう傷つきたくない。話し合う元気も残っていない。
夫婦カウンセリングは安全な土俵を提供します。
やっぱり夫婦は話し合いたい、バトルをしたいです。
安全な土俵と行司のもとで、思いっきりバトルしてもらいます。
お互いに、言いたいこと、伝えたいことの槍を投げてもらいます。
お家でふたりだけでやってしまうと、槍が刺さってお互いに傷ついてしまいます。
夫婦カウンセリングの土俵では、傷つかないようにしながら槍を投げ合います。
飛んでくる槍を行司がちょっと細工して傷つかないように弱毒化して相手にパスします。

安全だけど思いっきり投げ合うバトルに耐えて何戦か交えていくうちに、だんだんコツをつかんできます。相手に致命傷は与えないけど言いたいことをうまくはっきり伝えられるようになります。飛んできた槍を真正面から受けず、ひょいとかわしてやり過ごすこともできるようになります。
手持ちの毒矢を全部投げ終わると危険は去ります。あとは素手でしっかり四つに組んで、ふつうの無害な夫婦バトル(=コミュニケーション)ができるようになります。

このように比喩を使って説明するのは簡単ですが実際は相当たいへん。行事もヘトヘト。でも一番疲れるのは投げ合っているおふたりです。とても大変な勝負になりますが、がんばればマイナスのループから抜け出すことができます。

このような安全なバトルを繰り広げられるためには前提条件がふたつあります。
  1. 行司との間に十分な信頼関係があること。下手な行司、もしかしたら相手に加担するんじゃないかという行司の前では勝負できません。土俵にふたりが上がる前に、力士A、力士Bとそれぞれ個別に十分お話し合いをして、この行司なら任せられるという安心感を得てもらいます。頼りない行司のもとでバトルしてはいけません。
  2. ホントに夫婦関係を続けたいのか。この人と一緒に困難を乗り越えていきたいのか。そういう気持ちが残っていることを確認します。
根底に「」があっても、その上にたくさんの塵が積もっていたら「愛」が見えなくなります。この人を愛しているのか、憎んでいるのかわからなかくなります。その場合でも行司がお手伝いします。塵をかき分けた底に「愛」がまだ残っているか否かを確認します。もし「愛」の片りんが残っていたら夫婦関係を回復する可能性にかけます。
もし、昔はあった「愛」がいつのまにかなくなり、他の道を選択した方がベターと判断したら、うまく別れるためのカウンセリングを行います。

離婚カウンセリングについては、また別項で説明します。

2013年4月20日土曜日

男性のメンタルヘルスに女性の果たす役割


兄はやはり受診しなかったようですね。
カウンセリングなどに抵抗があるのかもしれません。でも、兄の状態は本当に良くないので、なんとか先生のところに受診するよう、もう一度話してみます。

妹さんの役割はとても大きいと思います。
Aさんは有能なサラリーマン。今までトップで頑張っていましたが、会社の業績が急激に悪化し、リストラされてしまいました。でも「うつ」になった本当の理由は違うところにあります。いわゆる家庭内別居の状態が長く続いていましたが、Aさんのリストラを機に奥さんの浮気が発覚し、離婚の危機が迫っていました。安定した収入とパートナーを同時に失い、Aさんは生きる目的を失い、強く死にたいと思うようになりました。
でもAさんは治療が必要とは思いません。今までさまざまな苦境をひとりでがんばってきたプライドがあります。専門家とはいえ、自分の弱みを語ることに強い抵抗を感じています。
でも、妹さんの強い説得で何とか私のところに通うようになりました。

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Bさんは長年連れ添った愛妻を突然の心臓発作で失いました。
茫然自失、何もできないでいるBさんを妹さんが救いました。
私のクリニックを探し出した妹さんがまず相談に見え、次いでBさんと共にやってきました。
1年ほど通い、Bさんは喪失体験を乗り越え、次の人生に向けて前向きに進むことができるようになりました。

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AさんとBさんに共通していることは何でしょう?
心を悪くした大きな要因が女性(奥さん)でした。
そして心を回復に向かわせているきっかけを女性(きょうだい)が作りました。

ふだんは別々の所帯を持ち、それほど交流がなくても、きょうだいは危機に陥ると大きなサポートとなります。高齢の親は心配してもそこまで立ち回る力も関係性もありません。
そして、なぜか男性を女性のきょうだいが救うケースが多いのです。
男性のきょうだいは、なかなかそこまで関知しないようです。

男性はメンタルヘルスがとても苦手なようです。
女性はそれをカバーしてくれます。

2013年4月18日木曜日

ひきこもりと家族の危機

A君のお父さんがお礼に来てくださった。

高校生だったA君はエンジンが停止してしまい、なにも気力がわかず、学校にも行けず、家にひきこもり無為な日々を送っていた。始めお父さんが相談に見え、A君もやってきた。始めは親に言われて渋々やってきたが、途中から気持ちの奥底を語るようになった。
およそ1年間、A君とご家族が相談にやってきて、エンジンが再びゆっくり始動し、この春に希望していた大学に進学することができた。

先生のお陰です。どうもありがとうございました。

いや、私の力ではないんですよ。
まずお父さんがきっかけを作り、A君自身が見知らぬ外部の専門家をうまく使いこなして、自分のエンジンを始動させたんですよ。私はそのきっかけに過ぎません。

今だから言えるけど、あの頃は本当に家族の危機だったんですよ。

ひきこもりは本人にとっての危機であり、家族全体にとっての危機ですね。
でも、その言葉は今までお父さんから出てきませんでした。
危機を乗り越えたから、危機だったことを振り返ることができるのですね。
危機の渦中にいると、今、危機状態にいることさえ気づかないのかもしれません。
自分たちがどれほどタイヘンな状態にいるかわからないほど、大変なんですよ。

ふつうに暮らしていても、さまざまな危機がやってきます。
大震災のように外部から。
家族の病気・障害・事故のように内部から。
危機がやってくるのが問題なのではありません。
大切なのは対処行動をとれるか否かです。
危機に圧倒され、立ちすくみ、凍ってしまい、守りに入るか。
危機に向き合い、正面から攻めても無理なので、外部の支援を求めるか。

危機は、必ず乗り越えることができます。
それを、レジリエンス(人が困難から立ち直る力)と言います。

2013年4月17日水曜日

新学期:学校に行きたがらない

この春から新しい学校に入学しました。
でも、本人はあまり行きたがりません。
「前の学校の方が良かった。」
「友だちの行った別の学校の方が良かった。」
「今の学校は自分に合わない、良くない。」
などと言います。

もともとあまり社交的なタイプではなく、人見知りして友だちもそれほど多くありません。
人の話を聞けず、友だちとのコミュニケーションも苦労しているようです。
夜もなかなか眠れず、朝まで起きている時もあります。

親はどう接したらよいのでしょうか?
このまま放っておいて良いのでしょうか?
それとも、何か手立てを講じたほうが良いのでしょうか?

新年度は希望に胸ふくらます時期であり、また問題が生じやすい時期でもあります。
どうもちょっとおかしいな。大丈夫かな?
と思ったら、早めに対応することが大切です。時機を逸して遅くなると、回復が難しくなります。

基本的にふたつの場合が考えられます。
1)病気ではない場合:つまり思春期の困難な時期・反抗期が顕著に現れている場合です。
時間がたてば、本人の力で乗り越えられるはずです。
それを親はどう見守り、どのように接したらよいか。親の対応いかんによって、子どもが自分自身で乗り越える力を発揮できる場合と、親がじゃまになって発揮できない場合があります。

2)病気の場合:発達障害(アスペルガー障害)、子どものうつ病など、治療を要する心の病が新学期のストレスによって発症する場合です。
この場合、本人自身の力では乗り越えられません。専門家による治療が必要になります。

このどちらであるか、見極めることが大切です。
それによって放っておいて良いのか、親の対応を工夫すればよいのか、あるいは専門的な治療が必要なのか、大きく方向性が変わってきます。

一度、よくお話を伺わせてください。
お子さんご本人とお話しできれば、見極めることができます。
お子さんがいらっしゃらなくても、ご両親のお話を詳しく伺えば、多くのお子さんたちと関わってきた経験から、かなりの精度で見極めることができます。

パパの物語


有識者として原稿を依頼されましたが、個人的な体験でも良いということなので本音を書かせていただきます。「パパの子育て」とか「イクメン」は、私の体験に照らし合わせればあえて取沙汰せずとも自然なことです。それは、私の身近に「パパの物語」があったからだと思います。
まず、私の父親の物語。パパは群馬の山奥(今でこそ有名になった四万温泉)から、ママは愛媛県の海辺の町から東京に出て、お見合い結婚から核家族をスタートさせました。親類縁者たちから離れ、私と妹ふたりの子育てに孤軍奮闘したのだと思います。高度経済成長期の標準からすれば公務員だったパパの帰りは比較的早く、土日もふつうに家にいて、子どもたちによく関わってくれました。「もっとがんばれ!」と過剰に期待されることもなく、学区の都立高校に進学しました。アメリカ留学を希望した時も、「大学に行けなくなるぞ!」という高校担任の忠告をさえぎり、私を認めてくれました。
 次に、祖父の物語。家族の中で繰り返し伝えられる話を「家族神話」と言います。旅館業を営んでいた私の祖父はいつも家にいて子煩悩だったそうです。私のパパが幼い頃、寝ている体がふんわり浮き、父親が自分の寝床に持って行き一緒に寝ていたそうです。多くの物語の中でこの話が家族神話として記憶に留まっているのは、父から息子へと代々受け継がれる伝統に含まれるからでしょう。それを私は無意識に子どもたちに伝えるのだと思います。
 さらに、アメリカの父親の物語。留学中1年間お世話になったホスト・ファーザーは、午後5時に仕事を終え、5時半には家にいて、庭の手入れと食事の支度、夕食後には庭のテラスで日が暮れるまで近所の人たちとおしゃべりしていました。日本人の私にとって特筆すべきことですが、彼らはには普通のことです。
これらの物語は、精神科医として出会った父親の物語と大きく異なっていました。思春期の不登校やひきこもりなどの家族の多くには、物理的にも心理的にもパパがいません。仕事で不在がちだし、親子や夫婦の会話すらありません。その分、ママがぴったり子どもにくっついています。幼い頃はそれでも構いませんが、思春期になると親離れ・子離れが難しくなります。思春期はウチ(ママ)の世界から、パパ(ソト)の世界に飛び出します。緊密なママと子どもの絆にパパがクサビを打ち込み、夫婦関係を取り戻せば、子どもは自然にママから離れてゆきます。子どもだけを治療しても一向に良くならないので、家族全体を元気にできる家族療法を勉強しました。

さて、次は私自身がパパになった物語です。30歳で結婚した私は妻に家にいてほしくないと思いました。男が経済力と自由を占領した方がホントは気持ちよく、好きなことをできるのだろうけど、結局は家族を顧みず、仕事に埋没する男になっても面白くありません。妻が夕飯の支度をして私の帰宅を待つよりは、妻が自分を成就している方が、自分も同じようにできます。
今までの人生で一番嬉しかった瞬間を3つ挙げるとしたら、1)高校留学試験に受かった時、2)妻が私のプロポーズを受け入れてくれた時、そして3)妻の出産に立ち会い、長男に出会った時でしょう。親になった喜びをふたりで分かち合い、妻も私も働き続け、保育園と両親の力を借りながら子育てしました。私もパパとしてがんばっていたつもりでしたが、妻から、「あなたは口ではきれいごとばかりで、結局は私にやらせるのね」と言われていました。確かに、週末も仕事やゴルフに行ってました。
そんな妻も2年前、家族でスキーをしているさ中に心臓発作で急死。享年45歳でした。私は生涯経験したことのない深い悲しみと心の危機に直面しつつ、シングル・ファーザーとして格闘してきました。
悲しみは隠さず、子どもたちと共有するよう心掛けています。外食でさえ焼肉かスパゲッティか意見が合わない3人の子どもたちも、ママのお墓参りに行く時は必ず意見が一致します。4人そろって車で小一時間、三浦半島の公園墓地のママに会いに行きます。
子どもたちにとって、スキーは母親を奪った敵です。「もう絶対スキーなんか行かない」と宣言していた次男も、2年目となる今年の正月に友だち家族と一緒にスキーに行くことができました。
子どもたちと悲しみを共有しつつ、ふだんは父親の元気な姿を見せてあげたい。スポーツ好きな私は体を動かすことで心も元気になります。自転車で大田区から32kmの道を通勤し、テニスやスキーを楽しむ父親を見て、高2の長男はバレーボール、中2の娘は水泳、小6の次男は体操にがんばっています。
普段の炊事・洗濯は二世帯同居の母親が支えてくれますが、子どものお弁当は私が作ります。保育園時代の弁当はほとんど妻が作っていました。小中学時代は給食ですが、高校はまたお弁当です。保育園時代のママ友たちが「交代して作ってあげるわよ」と申し出てくれましたが、幸い家事の中で料理は好きな方です。当初頼りにしていた「男子弁当」の料理本を見なくても冷蔵庫の残り物で作れるようになりました。食事作りは子どもたちを養っている実感をダイレクトに得ることができます。ついでに自分の弁当も作り、外食が減りました。
中2の娘は気が強く、反抗期の真っ只中です。挑戦してくる無理難題に甘やかしたくはありません。厳しく限界を設定する一方で、娘にとっても甘えたりおねだりするのはパパしかいません。昨年、オーストラリアに住む友人家族が訪ねてきました。好奇心の強い娘は「遊びにおいでよ!」という誘いに乗りたい一方、まだひとり旅は不安です。「大丈夫だよ、行ってごらんよ。」私の父親と同じように娘を励まし、結果的にはとても楽しんできました。私が成田空港まで迎えに行くと、いつもの父親に見せるブスっとした顔。「あーあ、日本に帰ってきちゃった!」という気持ちは私もよくわかります。でも言わなくちゃと、とってつけた口調で一言「パパありがとう」。パパはそれだけで十分報われます。
多忙のため限られた時間の中で、子どもたちと気持ちがつながる瞬間の温かさを感じます。それはおそらく自分自身の父親との関係の中で育まれた感性です。妻を失った今の方が、私にとっても子どもたちにとっても一層かけがえのない親子の絆となりました。父親の物語は過去から現在、そして未来につながってゆきます。

すべての人は心の中に光と影を持っています。そしてすべての親は子どもを愛そうとします。親から愛された記憶が光の中にあると、子育てほど楽しく幸せなことはありません。反対に、それが影の記憶に埋め込まれていると、子どもと関わることがとても苦しくなります。それは私自身、そして私が出会うすべての家族に当てはまります。幸い、光と影は陰陽太極図のように循環します。私は、家族の支援者として、光の中で親子が関われるようなお手伝いをしたいと願っています。

小金井市男女平等情報誌「かたらい」へ書いた原稿