2013年4月23日火曜日

有能な心の支援者になるための三種の神器


真に有能な心の支援者になるためには、次の3つのトレーニングが必要です。

1)理論の学習

  •  心はどういう仕組みで働いているのか(正常の心の理解)
  •  心はどのような問題を起こしうるか(心の病理や異常の理解)
  •  それをどうやって支援しうるか(〇〇療法とか、〇〇理論とか支援法の理解)

などを教科書を読んだり講義を受けて、主に座学として学びます。
大学などの高等教育機関で学びますが、生身の人間を扱う心の支援者はそう簡単ではありません。大学院レベルまでしっかり学んだ方が良いでしょう。
あるいは、職場に入ってからの新人研修、初期研修でやることもあるでしょう。

2)臨床実習
机上の空論ではなく、実際現場でどう使うことができるか、応用を学びます(というより体験します)。
私が医者のトレーニングを受けていた時、医学部の5-6年生はほとんど病院実習でした。資格取得前ですから治療行為は行わず、実際の治療現場を見学します。現場の関わり方は直接的・間接的のふたつがあります。

<患者さんに関わりながら習得するOn-Site Training>
医師の資格を得てから研修医という見習い医師(インターン)を何年かやります。
大学病院に入院すると、たいて主治医が3人くらいいます。新米の研修医と、主に関わる主治医と、それを統括する管理職的医者と。つまり、実際に責任を持って医療に関わりながら、経験を増やしていきます。

<患者さんとは別の場所で習得するOff-Site Training>
事例検討会とかスーパーヴィジョンに相当します。仲間や指導者に自分の臨床体験を語り、ディスカッションしたりアドバイスをもらいます。マンツーマンでガチンコ勝負したり、複数の人がいるグループの中で話し合ったり、いろいろな方法があります。

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以上はどの仕事、どの職場でも必要なふたつの要素でしょう。まず、理屈で理解して、実際場面で応用します。心の支援者は、それに加え3つめの要素が必要になります。

3)感情表出体験
心の支援者は理性に加え、感性という主観的な感情体験を扱うトレーニングが必要になります。

理性と感性を比較してみましょう。たとえば、普通の医者は感性よりも理性を使います。患者さんの状況を客観的にとらえ、正確に診断します。生物学的に指向して薬物療法を中心に行う普通の精神科医であればこのように理性中心でもうまく治療できます。理性的に関わるためには客観性が重要です。クライエントの内部で起こっている出来事を客観的に観察し、測定して数値化したり、操作的診断基準に照らし合わせて他の人でも理解できる標準的な言葉で記述します。

 一方、心(感性)という実体のない主観的な感情体験は測定したり記述することができません。客体化せずに、主観的な世界の中で扱います。そのためには支援者自身の主観的感情体験を用います。クライエントの話を聴き、状況を理解して、支援者の心の中に湧き起こる感情をもとにして、クライエントが心の中に抱いている感情を類推します。
 そのためには、自分の感情を自由に思い起こしたり感じることができるようにします。現在と過去の喜怒哀楽などさまざまな感情体験を想起できるようにします。どこかにブロックがあると、つまり痛みを伴い触れることができない感情領域があると、その部分に近づくと避けたり、怒りなどの反応で拒絶したりしてしまいます。多少の痛みなら大丈夫なのですが、本格的な痛みが伴っている場合、本格的なスーパーヴィジョン(というよりはセラピー)が必要です。
 そして、感情を表現し、それを他者に受け入れられる体験も必要です。それは心の支援者がクライエントに求めることですから、まず自ら体験してみます。普段は心の中に隠している感情を表現するときの不快感や痛み、そしてそれを他者に受け止められた喜びと解放感を体験します。つまり、自分自身が支援されエンパワーされた体験があると、クライエントにも同じことを勧めることができます。その体験がないと、そこまでやろうとはしません。心を掘り下げるには痛みが伴いますから、そんな危険を冒してまでやろうとしません。

 このような体験を経て、理性ばかりでなく感性を上手に扱えるようになります。頭が良くて頭脳明晰さだけでは良い心の支援者にはなれません。もちろんアタマは必要ですが、それに加えてココロを十分に耕すことが大切です。

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以上の三種の神器は、通常この順番で習得してゆきます。
1)理論の学習はアタマを働かせて覚えたり理論的に考えるのでアタマが柔軟な頃が良いでしょう。経験がなくとも、座学で習得できます。
2)臨床実習はクライエントという相手がいるから責任を伴います。少なくとも知識は持っていなくてはなりません。
3)感情表出体験はある程度の人生経験が必要です。まだ青いバナナでは、自分の体験を積み上げていくことに必死ですから、それを相対化する余裕はありません。ある程度バナナが熟し、多様な成功体験・失敗体験を積み上げ、人生の基盤を作り上げ、人生のスピードも緩んできた段階で、主観性を客体化する余裕も生まれます。
 また、ある程度の臨床体験を持ち、自身の体験を臨床におけるクライエントの体験と関連づけることが大切です。
 臨床体験が不十分なまま自己を掘り下げることも有用です。でもそれは心の支援者のトレーニングというよりも、セラピー体験、自己啓発セミナー体験、新興宗教体験と呼んだほうが良いでしょう。

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