アンケートでも、
「理屈で話すのではなく、心で話をしたいという先生の言葉に共感した」
「事例を具体的にお話いただきわかりやすかったです」
「個人的な気持ちも話していただきありがとうございました」
「先生も大変な中お疲れ様です。ありがとうございます」
「実体験を通してのお話は理解しやすかった」
「後半の、質問のところがわかりやすかった」
など、具体的でわかりやすかったという感想が多かったです。
講演に来ていただいてありがとうございました。
ふつう講演といえばどうしても理屈(理性)の話になってしまいますが、気持ち(感性)の話をみなさんに伝えることができて嬉しいです。
心の問題は理性ではなく感性(=こころ)なわけですよね。それを支援しようとする我々も、理屈を振りかざすのではなく、どう感性に迫ることが出来るかということが大切です。それをどうやったら伝えられるか、私なりに工夫してみました。
原理原則や一般論の話ではダメなんですよ。主観的、体験的な話になります。私が体験した震災支援の話、患者さんの具体的な話(プライバシーを守りつつ)、あるいは自分自身の感情体験を語ることになります。私自身、話しながら心が痛むんですけどね。でもその痛みを聴いてくれるみなさんに放出してコリをほぐしてもらうみたいな効果もあって、私も実は得しちゃっているんです。
いかにして、心(感性)に迫ることが出来るか。グループカウンセリングでは、私自身の体験も語りますが、個別のカウンセリングでは語りません。
では、どうやって迫るか?
こればかりは理屈で文字に書き起こして説明できないんですよ。
実際に体験してもらうしかありません。
(でも、何とかして本に書き起こしたいですねぇ。そうなるとどうしても私自身のナラティヴということになるのかもしれません。)
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(主催者の方が、機関誌のために講演要旨をまとめてくれました)
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(主催者の方が、機関誌のために講演要旨をまとめてくれました)
社会福祉法人浜松いのちの電話
開局25周年記念 2011年度浜松いのちの電話公開講座
「支え合ういのち」
~今、私たちにできること~
精神科医・東京いのちの電話理事 田村 毅氏
☆ 2011年11月27日(日)、静岡新聞社プレスタワー17階ホールで、開局25周年記念「浜松いのちの電話」公開講座が開催されました。講座は1部の講演と2部の質疑に分かれて行われ、参加者は田村氏の話に熱心に耳を傾けました。
震災直後、被災地で心のケアをした。娘からなぜ被災地へ行ったのかと聞かれ、「救いを求めている人がいる、そこで自分に出来ることがあるのではないか。」と答えた。いのちの電話相談員も、なぜいのちの電話の活動しているのかを見つめてみるのも大切なのではないだろうか。
いのちの電話は1953年、チャッド・バラがイギリスで始めた。一人の少女の自殺がきっかけであった。相談者が多くなり、ボランティアと共に活動するうち、相談の待ち時間に、ボランティアと話すことで気持ちが軽くなる人がいることに気付いた。このことが、ボランティアによる電話相談につながった。
では、いのちの電話で何が出来るのか。日本では、1971年にルツ・ヘットカンプ氏が、東京で開始した。その特徴は、①専門家でない市民ボランティアによること、②相談者も相談員も匿名(名前を明かさない)であること、③2年近いしっかりした研修を行うこと、である。心の苦しさを、薬物や専門知識に依らず、心をつかって癒していくのである。
人々は、なぜ自殺するのか。様々な理由があるだろうが、根本には絶望感や孤独がある。絶望とは、生きていることが、あまりに苦しい、生きている意味がないということ。孤独とは愛する他者から切り離される、愛する他者がいないということだ。
この苦しみを癒すには、辛い、苦しい、心がザワザワする、というような、自分でもよく分からない気持ちを、「哀しい・怖い・不安・寂しい」というよく分かる気持ちとして表現できるようにしていく。これなら、解決できる。
では、悲しみとは何か。それは、大切なことを失うことだ。不安とは、大切なものを失うかもしれないという未来予想だ。そして、自分の希望がなくなることだ。孤独とは、大切なものがなくなった、独りぼっちの状態といえる。
自分は2年半前に突然妻と死別し、とてつもない悲しみを体験した。このように、人は誰でもマイナスの気持ちをもっている。これを表現するのは辛いことだ。そこで、悲しみなどを囲み、おできのような状態にする。しかし、さわると痛い。その痛みが怒りに変わる。怒りの背後には、このような気持ちが潜んでいる。そのおできが大きくなると、何もしなくても辛い。そこで、自分の気持ちをシャットアウトしてしまう。すると、プラスの気持ちを含めて心全体が動かなくなり(うつ状態)、非常に辛くなる。
いのちの電話は、心をつかって安全にそっと、この悲しみや不安、寂しい、怖い、という気持ちを外に出していく。受け止める他者による傾聴・受容・共感によって、おできの膿を出していくと、プラスの気持ちを使えるようになり、自分自身で前向きになっていける。
電話をかけてくる相談者は、心の中に哀しみを抱えている。その感情を受け止め、受け止めた気持ちを返していく。それが相手の悲しみに向き合うことだ。
こうした相談するには、あえて自分の哀しみに向き合う必要がある。普段隠している問題が吹き出す危険もあり困難であるが大切だ。
いのちの電話が行っているビフレンディングとは隣人となることで、カウンセリングや薬物療法とは違い、自分自身の心をつかって相手と向き合う。どの方法がいいということではないが、これは医師やカウンセラーには出来ない。
支え合ういのち。人を癒しながら、自分を癒していく。この社会は、支え合い癒し合う共同体である。いのちの電話の活動は、家族など親しい人への愛とはまた違う、隣人愛というもので、人と関わりたい、助けたいという思いが、苦しむ人々のいのちを支える。いのちの電話はそういう活動をしている。
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