その場で、ある同級生がマスコミのやり玉に上がったことが話題になった。彼と私は小・中・高と同じ学校で、中学時代は彼が生徒会長で私が副会長。私と違っていたのは、彼がすごくイケメンで女の子たちにもてまくっていたこと。私が知っている彼は一回目の結婚式くらいまでで、その後何があったかは知らない。週刊誌よると、一流会社の幹部社員になり、多くの女性たちに手を出し、結婚詐欺をやらかし、被害にあった女性たちから告発され、会社を辞めたという。みんなから慕われ、活躍していた子ども時代の彼をよく知っているだけに、この話はとても悲しい。
男性は、自己に内包している弱さを正面から見つめることが大の苦手だ。それを求めてしまったら自分自身が崩れてしまう恐怖に常におびえている。そのために弱さを否定し、強迫的に強さを追い求めようとする。彼だって仕事ができて、女にもて、男性として成功者のはずだった。セルフ・コントロールさえうまくいけば、成功の道を全うできたはずなのに、、、
常軌を失ったコントロール不能のエネルギーの行き先は大きく分けて2方向ある。
- 外(他者)に向けられれルのが攻撃性、(彼のような規範からの)性的逸脱、酒・ギャンブル依存などだ。まわりの人や社会が迷惑をこうむり、ケイサツや週刊誌記者のお世話になる。
- 内(自己)に向けられるのがひきこもり、鬱(うつ)、自傷行為、自殺など。人さまにはご迷惑をおかけしないが、自分自身が破滅し、精神科医がお世話する。
自分の弱さを認められない男性たちは、男らしさの鎧(ヨロイ)でカバーアップしようとする。それが過度な攻撃性や活動性(仕事にのめり込むこと、女性を追いかけること)だったりする。しかし、根底に不安があるかぎり、いくら分厚いヨロイで隠しても、決して安心(満足)できない。決して満たされることのない安心感を際限なく追い求め、コントロールを失い、破滅していく。
このようにエネルギーが外に向けられているうちはまだ良いのだが、内に向かい始めると一気に落ち込む。うつ病になっても、自分の弱さ(病気・異常)を認めず、救いを求めようとしない。
カウンセリングのクライエントに占める男性の割合は低い。女性は気持ちを言葉で表現したり、「助けてください!」と比較的抵抗なく援助を求めることができるのに、男性はできない。
- 古典的な男性(オス)の生来的identityは強さだ。自分の強さ・有能さを誇示し、多くのメスを引きつけて遺伝子をまき散らす。弱さを認めたら、オスとしてのidentityが崩れてしまう。
- 古典的な女性(メス)の生来的identityは弱さだ。守ってくれる強いオスを呼び寄せ、強い遺伝子をもらう。弱者としての子どもを守り、育てる。
女性を支援する基本は、力を付与していくこと(エンパワーメント)。素の状態から、良質のヨロイを獲得すればよい。
男性を支援するのはやっかいだ。まず、時代遅れのヨロイを一旦崩さないといけない。
そのために必要な要件は、とりあえずふたつ考えられる。
1)自分の弱さを語れる安全な場所。
ヨロイを脱ぎ捨て、素の自分になるためには、傷つけられないという安全な環境の保障が必要だ。批判されず、情報が漏れず、理解・共感されて受け止められること。
対等な女性の前では、なかなか恥ずかしくて脱げない。
お母さんの前では脱げるけど、赤ちゃん返り(退行・依存)してしまう。
対等な男性の前では、ライバル同士だから脱ぐわけにはいかない。
お父さんの前では、、、、良質なお父さんを経験していないと、どう接してよいかわからない。
2)準拠できるモデルの存在。
裸になった男性が、新たなidentityを自らの手で見出せるために。
宗教のような超越的存在でもなく、松本 智津夫みたいに悪質な価値を刷り込ませるカリスマでもない。本人が自ら選びとれるようなモデルを提示できる、信頼できる同性(男性)がいること。
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