2013年4月1日月曜日

続:不安のスパイラルと耐震構造

前回のブログ記事について、みなさんからメッセージをいただきました。
応援ありがとうございます。
でも、ちょっと違うんですよ。

> > 田村先生

3月24日のブログ「不安のスパイラル」を読みました。
読んで思わず筆をとらせていただきたくなり・・ではなくキーを打っています。
「心の支援者」は辛いですね。私がそのような状態になったら、やはり、自分も仕事の中での会話を振り返り「あれで良かったのか」と自問すると思います。そして悩むと思います。
 でも、亡くなられた方には他の様々な要因があって、そのような方法を選んだのだと思います。世の中には不可抗力ということもあります。
 仕方ないことも・・・・・。
 どうぞご自身を責めないでくだい。
どうぞ元気をだしてください(*^_^*)

 心の支援者にも心のケアが必要ですね。

そこなんですよ、私が伝えたかったことは。
支援者は常に揺れているんです。
生徒から見れば先生は、
クライエントからみればセラピストは、
弟子から見れば師は、
(大げさに言えば)岩のように不動でどんなことにも動じず常に冷静沈着に判断しているように見える(というかそうあってほしい、そうでなければ困るわけだ)けど、実際にはそんなはずないですよね。人間は、聖者でない限り、日々常に揺れています。

支援者に求められる資質は、
1)そうたくさんは揺れないこと。
2)自分が現在どの程度揺れているのかを常にモニターしていること。
3)揺れたときは素早く察知して、対処行動(自分自身のケア)をとれることです。

 私の今回の揺れは、その日の晩にブログに書いた時点で収まっていたんです。
 もし、それ以上大きな揺れだったらブログには書かないでしょう。そのような姿は公開せず、スーパーヴィジョンなどの機会を利用して自分の中で整理していたと思います。

私が支援者として目指している姿は、高層ビルの耐震構造に例えれば「柔構造」なんです。自分の揺れをあるがままに認め、しばらく揺れても決して倒れずしっかり大地に立ちます。そうすれば、クライエントの揺れを敏感にキャッチし、共に揺れることができます。揺れても大丈夫。心配せずに揺れ続け、収束するための手立てを焦らずに講じ、やがて収まるのをゆっくり待つことができます。クライエントは、このままだと将来倒れてしまうのではという大きな不安を抱えます。支援者はそのような不安に耐え、きっと回復するはずという安心を与えます。

私が若い頃は支援者は(あるいはだれでも人は)強い風雪にもびくともしない「鋼構造」であるべきと思い、そのような強さを求めてきました。ふつうはそれで構わないし、そうするべきなのでしょうが、心の支援者としてはあまり良くないと思います。なぜなら、鋼構造は揺れないことを前提に置いてしまうので、クライエントの揺れを敏感にキャッチしにくくなります。揺れを体験しないので理屈でしか理解できず、理論的に対処しようとします。それでも問題は解決するのでしょうが、果たしてホントの癒しに繋がるのか疑問に思います。

また、鋼構造では自分が揺れていない(正しい)ことを前提に置いてしまうので、自分が揺れた時も気づきません。世の中が歪んで見えても、自分が揺れている(間違っている)からそう見えるのだとは思わず、相手が揺れているに違いないと思い込んでしまいます。不合理な現象を自分の問題としてとらえることができず、相手の問題として認識します。それは「投影」というプロセスであり、支援者・クライエント間でも、家族などの人間関係でも、よくみられることです。

本当の「強さ」はびくともしない「鋼構造」ではなく、柔らかく揺れ続ける自分に耐える「柔構造」だと思います。そのような状況を自分自身に課すために書いたのが前回のブログでした。

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