2013年4月8日月曜日

思春期のとまどいとひきこもり

...つまらない正論を述べるようだけど、いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値観があり、それに沿った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに沿った生き方がある。そのような相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。その結果故のない非難を受けたりもする。当たり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事ではない。そのせいで心が深く傷つくこともある。これは辛い体験だ。
<村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」文春文庫。p.37>

...もちろん十六歳というのはおそらくみなさんもご存じのように、とびっきり面倒な年齢だ。細かいことがいちいち気になるし、自分の立っている位置が客観的につかめないし、なんでもないことで妙に得意になったり、コンプレックスを抱いてしまったりする。
<村上。p.229>

これは思春期に誰もが一度は経験する、十分に理解しうる心情です。


思春期のA君曰く;
 確かに自分はヘンだと思う。自分にはキモいところがある。それが何だか具体的にはわからないし、口では言えないけど。
 自分は空気を読むのが得意でないんです。どうも自分はまわりから嫌がられていたらしいんです。でもまわりの人のホントの気持ちなんてわからない。
自分のことを「キモい」と見られるのがイヤだし。
あの人、自分のことを何を思っているのだろう...といつもまわりを気にするのがとても疲れるんです。


多くの場合このような心情は一過性で、知らぬうちに次の段階に進んでいる。

 しかし年齢を重ねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。
<村上。p.37>

このように認識できるようになるのが思春期の心の成長です。それは、さまざまな経験(失敗して傷つく体験と、小さな成功を得て少し自信を獲得する体験)を糧にして、自然に心の中で起こります。

年を取るにつれて、様々な試行錯誤を経て、拾うべきものは拾い、捨てるべきものは捨て、「欠点や欠陥は数え上げればキリがない。でも良いところも少しぐらいはあるはずだし、手持ちのものだけでなんとかしのいでいくしかあるまい」という認識(諦観)にいたることになる。
<村上。p.229>


この「諦観」に至らず、他者との関わりによる傷つきをシャットアウトしたのがひきこもりです。それは傷つ体験を避ける自動防御機構とも言えます。
 一旦シャットアウトして守りの体制に入ってしまうと他者との交流が途絶え、失敗体験と成功体験の試行錯誤ができなくなってしまいます。

A君いわく:
学校に行けないのか、行きたくないのか自分でもよくわからないんです。
今の生活を手放したくない。もしかしたら、単に嫌がっている、ただの「わがままな子ども」なのかもしれない。
もしそうだとしたら、とても怖い。


守りの体勢を打ち破るきっかけを失い、ひきこもりが長期化すると、変化への抵抗が強くなり、ますます硬直化してしまいます。

A君いわく:
自分はこだわりが強いんです。自分自身をしばってしまう。

これから、適応して生きていくためには柔軟さが必要なことは十分わかってます。
考え方を変えることで、外に出るようになるのでしょう。
でも、そういう気になれないのです。
自分が方針を転換をすればいいだけだけど、順番を変える気持ちに持っていけない。
初めに決めた予定を、現実的にベターな策に切り替えていくことができません。
それは変えたくない。変えてまで出たくない。
普通の人はやらざるを得ないからやってるのでしょう。
僕の場合はアタマが堅いんです。柔軟性がないのです。
こういうことって小さい幼少時期からあったと思う。でも中学まではなんとかやってきたけど、高校くらいからこなせなくなってきました。

これほどまでに言えれば、決心して実行すればいいだけじゃないか!
そう思われるでしょう。
実際、A君は今、自分自身を変革している最中です。
カウンセリングにやってきて、ここまで言語化できる人はまれです。多くはカウンセリングにやってこないし、やってきたとしてもこれほどまでには言葉に表現できません。
言わないと、何を考えているのかわかりません。でも、このような気持ちはひきこもっている多くの人に共通した心情です。一見、何も考えずに楽をしているように周りからは見られがちですが、内心とても葛藤しています。

では、どうやったら変われるのでしょう?
ひきこもりの悪循環から抜け出すことができるのでしょう?

さなぎ状態のひきこもり青年たちは、一見何も考えていないようで、実は上記のように深くとまどい、悩んでいます。決して現状に満足しているわけではありません。変わるインセンティヴは十分あります。あと必要なのは背中を押してくれるような試行錯誤体験です。

 カウンセリングに繋がっていれば、カウンセラーとの交流がその体験を生みます。
 ソトの世界のだれとも繋がっていなければ、唯一繋がっているウチの世界の家族のみが試行錯誤体験を与えるチャンスです。

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