2013年6月4日火曜日

「待つ」子育て

広尾近辺は外国人の家族連れが多い。
先日、対岸のホームに三歳くらいの女の子が泣き叫び駄々をこねていた。
地べたに寝転がり、ストライキを起こしている。
母親はじっと待っている。決して抱き起こさない。
対岸なので言葉は聞こえず、母子の相互作用しかわからないが、興味あるので電車をひとつ遅らせ観察していた。

日本人の親子にはまず見られない光景だ。
地下鉄のホームだから寝転がったら汚い。洋服どころか顔までベターっとつけてしまっている。
すぐに抱き起すだろう。子どもは駄々をこね、親は叱りながら、なんとか連れて行くだろう。

母親としては、こんなところで立ち止まらず、早く連れてゆきたいだろう。
しかし、子どもが寝転がっている間、手も口も出さず、腕を組んでじっと見守っている。叱るわけでもなく、ただ待っていた。
今度はお人形さんを放っぽり投げたので、さすがにそれは拾い、屈んで子どもに何かを話しかけている。でも抱き起さず、子どもが自分で起きるまでずっとホームの地べたに寝させたままだ。

この間、待つこと5分くらい。やがて子どもは諦め、起き上がり、母親に手を引かれトコトコ歩き始めた。機嫌を直したのかなと思ったら、少し歩いてまた駄々をこねてストップ。でも今回は1分もかからずにまた歩き始めた。

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日本人の母親とアメリカ人の母親の養育態度の違いについて調べが古典的な研究がある(Caudill, 1969)。生後3~4ヶ月の子どもと母のコミュニケーションパターン・子どもの時間の過ごし方(遊び方)』を観察していると、次のような違いが分かった。
  • 日本の母子の接し方……子どもとのスキンシップ(身体接触)は多いが言葉をかける頻度が少なく、抱っこしたり揺らしたりすることが多い。普段から子どもと同室で過ごすことが多い。
  • アメリカの母子の接し方……子どもとのスキンシップ(身体接触)は少なめだが言葉をかける頻度が多い。普段は子どもと別室で過ごすことが多い。
どちらが良い・悪いの問題ではない。そういうしつけ方の違いがある。

これは、日本人の対人関係のあり方にも関連する。
相手の気持ちを察し、先回りしてケアする。
数年前のNHKの連ドラ「どんと腫れ」でも岩手の老舗旅館の「おもてなしの心」がテーマだった。いかに早く客のニーズを察知し、客が言う前にこちらからそのニーズを満たすことができるか。
このような共感能力は日本的な人間関係には重要な美徳なのだが、やり過ぎると良くない。

子育ての場合、親が関わりすぎると他者に依存し、自分のニーズを自らの力で解決する動機づけを削いでしまう。その結果、子どもは自立しにくくなる。

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三歳児は立ち上がるまでに5分かかったが、思春期の子どもは数日、ときには数ヶ月以上かかる。
学校で自分の思い通りにいかず、やる気をなくし勉強をせず、夜遅くまでゲームばかり無為に過ごして、朝も起きられない。成績は下がり、停滞し、電車に乗り遅れてしまう。

親としては必死だ。何とか抱き起して歩かせたい。
この子は何かの病気でこうなってしまったのでしょうか?
どうやったら今すぐに立ち上がらせることができるのですか?
と相談にやってくる。
もし、病気なら治療をしなければならない。
しかし、病気でないのであれば、待つことが大切だ。
本人自身も起き上がらねばならないことは十分わかっている。しかし、今は起き上がることができないだけなのだ。

思春期の子どもの潜在力を信じ、自らの力で立ち上がるまで、親が腕を組み、叱ることもせず、待つことができるか。

これは、親にとってかなりの試練である。
そのようなお手伝いをする場合が多い。

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