2013年6月10日月曜日

母親の物語(4)

叔母さん宅では、おじさん、K伯母さん、母と楽しい会食。
昔話に花が咲く。
80歳前後のお婆婆たちが娘時代に返り、「箸が転げても可笑し」く大声で笑っている。
このシーンは記憶がある。

私が子どもの頃、毎年お盆休みは四国に帰省していた。
当時の四国への帰省は、今の欧米くらいの感覚だ。寝台列車「瀬戸号」で夕方に東京を発ち、宇野から宇高連絡船で高松へ。そこから予讃線のディーゼル急行で壬生川まで。まるまる一日かかっていた。でも若い母にとっては貴重な帰省だったろう。親のもとにきょうだい7人が集まる。母が懐かしい大家族に囲まれ談笑する姿をみて、幼かった私も気持ちが安らいだ。上下20年くらいに散らばったいとこたちは2+3+2+4+2+2+2=総勢17人が集まる。旧家の縁側に並んでスイカを食べたり、おじさんの運転するトラックの荷台に乗り込み、「おまわりさんが来たらむしろをかぶって隠れるんだよ!」とはしゃぎながら海水浴に出かけたり、蚊帳を吊って雑魚寝するといとこのお兄ちゃんの怪談が怖くて眠れなかったり。

楽しい思い出ばかりではない。おばあちゃんにお灸をすえられる。べつに悪いことをしたからではなく、背中にモグサをすえて線香で火をつけるのが癒しになるわけで、娘たちにやってもらうついでに孫たちにもやってくれる。恐かった。体調を崩すと浣腸する習慣もあった。お尻からぬるま湯を入れられるのが恐いし、旧家の汲み取りトイレの下は明るく汚物が丸見えで、ものすごく臭く恐かった。
小学4−5年生だったろうか、海水浴で沖を泳ぐお兄ちゃん目指してやっと覚えた平泳ぎでのんびり楽しんでいた。すると、手漕ぎ舟がやってきて、私とお兄ちゃんが「救助」され、岸に戻ると母が泣いていた。岸からは潮に流されていると見えたらしい。「タケシくんが溺れてる!」とおばさんが騒ぎ出し、岸では大パニックだったそうだ。

これらも含め、今では懐かしい大切な思い出だ。
今回の旅行は、母親のケアを口実にした私自身の追憶の旅なのだ。

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